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第二章「上空視点による三人称」 14.夢 prev * index * next 梨花は夢を見ていた。雪の降る夢だ。雪はどんどん密度を増していった。やがて視界が真っ白になった。 『ほーら、真っ白』 誰かの声が聞こえた。小さな子供達が遊んでいる。人形を離さない髪の長い子、三つ編みの大人しそうな子、犬のようにころころと走り回っている子、冷たい目で遠くを見ている子、そして木陰で休んでいる子。 ５人の子供達は白い雪の中でくるくると舞っていた。 『雪のなかにはね……』 ５人のうちの誰かが囁いた。 『雪のなかには死体が埋まっているんだよ』 ――目が覚める。 
住吉梨花は薄暗い病室で目を覚ました。カーテンが少し捲れていて、外の街灯の光が漏れている。光が雪の白さに反射していつもより明るく見せているのだ。梨花は首を少し回して時計を見た。午前３時。まだ夜中だ。 夕食の後すぐに寝入ってしまったせいだろう。中途半端な時間に目覚めてしまった。こうなるともうしばらくは寝付けない。風の音が痛いほど耳につく。神経が過敏になっている。夕方に降り始めた雪が吹雪になっているようだ。 「住吉さん？」 梨花はびくりとして首を竦めた。ベッドのカーテンの向こうに人がいる。 「関谷さんですか」 声をかけた。シルエットは見覚えのあるものだった。声も。明かりが付いて、カーテンが引かれる。 「大丈夫？ うなされてたみたいだけど」 菜奈美が心配そうに覗き込んだ。梨花はふうっと息を吐いた。「平気です。ちょっと怖い夢を見ただけ」そう答えた。 怖い――？ 子供が不吉なことを言った。それだけだ。でも梨花は怖かった。夢の中で梨花はとても怖かった。じとりと汗をかいている。パジャマがぐっしょりと濡れている。 「それより、関谷さん、どうして？」 梨花は菜奈美の姿を見たときに抱いた疑問を口に出した。巡回の時間だろうか。それにしてもタイミングが良すぎる。 「あなた、コール押したのよ」 菜奈美の口からは意外な答えが出た。 「え？」 「……覚えてないのね。そんな気はしたわ」 全然覚えがない。ナースコールはベッドの脇にある。寝ながらでも手を回せば押すことは出来る。無意識に押したのだろうか。嫌な夢を見て？ ぞくりとした。 菜奈美はその答えを予想していたようだ。手を腰にあて、斜めに頭を傾げるポーズを取る。 「汗を拭いたほうがいいわ」 菜奈美は梨花にタオルを差し出した。梨花はパジャマのボタンをのろのろと外す。 「あの、わたし、本当に？」 「いいのよ、気にしなくて。よくあることだから」 そうだろうか、こんなことは初めてだった。なにか釈然としない。ちらりと菜奈美を見上げた。彼女はいつものように小刻みに首を揺すって、しばしばと瞬きを繰り返す。この仕草は梨花がハムスターのような仕草と評したものだった。菜奈美には抗議されたが、無くて七癖というようなもので、本人は注意しているつもりなのだろうが、１日に何度も目にする。それでいつも梨花は安心する。 パジャマの替えを出しながら、菜奈美はまだその仕草を続けている。そして、ふいに思い出したように動きを止め、こちらを向いた。 「そうそう、３階の個室が空いたから、明日から向こうに移ることになるわ。引越しよ」菜奈美はにっこりと笑って付け加えた。「お風呂もある部屋よ」 「え？ ホント」 ぱぁっと梨花の表情から曇りが消えた。 「ええ、前から話はあったの。あなたは検査が多いから、個室に移すべきだってね。でも、ここも狭いから。遅れちゃってごめんね」 検査が多いのは確かだ。三日に一回くらいの割合で、全身をスキャンする。一日かけて行う総合検診も二週間に一回くらいある。普通そんなにするものなのだろうか。カウンセリングはそれこそ毎日だ。梨花はいいかげんうんざりしている。 梨花の病名は『ウィッグラズム症』と言った。一種の遺伝子障害で、なんだかよく判らないけど、要するに普通の人と違うらしい。 「その部屋って、川田さんたちの部屋？」 梨花は病院の中で出来た友達の名前をあげた。彼女たちも退院してしまってもうここにはいない。 「違うわよ。あの子達は二人一緒じゃないと駄目だったから、共同部屋を個室扱いにしてたんだもの」 「あそこ、共同部屋だったんですか」 「そう、だからお風呂もなかったのよ」 菜奈美はお風呂にこだわる。 「お風呂かぁ」 やはり、頬が緩んだ。でもそれを顔に出すのは恥ずかしかった。共同の風呂は大きかったが、やはり気を使った。時間も限定されたし、入ることの出来ない日もあった。 「そ、だから怖い夢のことなんか忘れて――」菜奈美は窓際に寄って、カーテンの隙間から外を見た。「ゆっくりと眠りなさい。明日は今日よりいい日よ。外はまだ吹雪いてるようだけど、きっと晴れるわ。雪合戦でもしよか？」 菜奈美は能天気に言った。もちろん、雪合戦など許可されるわけがない。しかし、菜奈美は本気で言っていた。以前から、患者を外に連れ出して何度も婦長からお咎めを受けている。 外の風の音がひときわ大きく鳴った。 ごおおお・お・お…… 生き物の咆哮のようだ。梨花の興味は外に移った。 菜奈美は梨花に新しいパジャマを着せて、湿ったほうを丸めて抱えた。その間、梨花はずっとカーテンを見つめていた。カーテンの向こうの吹きすさぶ白い光景が見えるかのように。いつ瞬きをしているのか分からないくらいに目は固定され、頭の中が白濁していく。 怖い夢を見た。 そして、気付かないうちにナースコールを押した。 そのことが頭から離れないのか。それとも、すっかり消し去ろうとしているのか。梨花自身にも判別のつかない感情が渦巻く。傍から見るとただぼぉっとしているように見えるだろう。 実は梨花は、子供の頃からそういう感覚に陥ることが多かった。そのたびに姉に心配されていた。『また、梨花の空想がはじまった』ひとつ年上の姉はそうやって梨花をからかった。その姉もいまはいない。 梨花としてはべつに珍しいことではない。思考が停止しているのだ。そしてそれを外から眺める自分がいて、いつスイッチを入れようか思案している。その間が、すこし人より長いだけだと思っている。 「住吉さん？」 菜奈美がまた声をかけた。こう言う風に他人から声をかけられれば即座にスイッチは入る。 「はい？」 「どしたの、ぼぉっとして」 「ええと……」 梨花はくしゃくしゃと笑った。 |