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第一章「三津木弥生による一人称」 7.敵 prev * index * next 真淵は可笑しくてたまらないというふうに肩を揺すった。肩から上腕、指先に至るまで震えている。奴のもつコルトの銃口が、ぴくぴくと小刻みに笑っている。目元にはあの、狂王の臨終に立ち会う医者のような、形容しがたい皺が広がっている。 
「どうした？ 命乞いくらいしないのか」どこから声を出しているのか、口元はまったく動いていない。 俺は奴が腹話術に長けていたことを思い出す。笑いのタネにしかならないような使い方しかしなかったが、役にたったこともあった。 側溝の奥に感じられる体温が揺らいだ。コンクリートの冷たい穴の中で、ゆいが震えている。 「弾が入っているならな」 俺は答えた。真淵との会話、それが成立するのは何年ぶりだろう。同じ部隊にいて、共同作戦を命じられた時以来。口の内側が渇いているのがわかる。 「……あいかわらずだな。銃口を覗いたって分からんだろうに。どうして分かった？」 「弾が入っているなら、お前は銃を震わせたりしない」 「なるほど、そうだ」 真淵は嬉しくてたまらないらしい。銃を降ろしてポケットに入れる。 「指揮権を剥奪されたんでな。実弾の調達は間に合わなかった」 手を差し伸べた。出て来いと言っているのだろう。寒気がしたが、合わせるべきだ。ごつごつした皮膚が固く合わさる。ぐいと手が引かれて俺は薄暗い空の下へと出た。 駐車場の手前の角だった。歩測はまあまあ正しかった。 高さ２ｍ弱の緑色のフェンスが駐車場の周りを取り囲んでいる。真淵はそれを背にして、ひとりで俺を見下ろしている。他に人影はない。 「そっちの嬢ちゃんも」 もう一度側溝に手を差し伸べた。 ゆいは出てこなかった。 「……嫌われたか」 「俺が許可しない。お前の前は危険すぎる」 真淵は手を引っ込めた。怒っている素振りはない。むしろ喜んでいる。 「昼間、お前の姿を確認したあとクライアントに要求した。『血の三月（ブラッディ・マーチ）』を殺れというんなら報酬は１０倍だ、とな。それで降ろされた。けち臭い奴等だ」 真淵は勝手に喋りだした。 「あてがわれた兵隊も素人同然だった。あれでなにをさせたいのか。この真淵誠次になにをさせたいのか。ガキを使ってガキを攫えってんだから笑わせてくれる」 危険はないと判断できる。真淵は喋っている時はほかのことを考えられない。故に奴が危険なのは無口の時だ。計画を降ろされたというのは本当なのだろう。 依頼人は誰か。 俺は考えた。真淵を雇うということはそれなりにきな臭い方面に精通しているということだ。ヤクザ、暴力団、右翼の政治団体、怪しげな宗教法人……そのなかで『鯛焼き法』に関わる重要参考人を欲しがっているのはどこか。むろん、『食品管理統制』に反対する過激派である可能性が最も高い。 現在、日本国内に、統制粉砕を旗印にあげている過激派は５つある。 1.鯛焼き教 2.毒飲料捜査会 3.ブルーイーター 4.日本憂食連合会 5.香騎士 しかし、これらの連中が依頼人なら、兵隊が素人ということは決してあり得ない。単独でも充分なテロ行為ができる連中だ。ヤクザのチンピラと見紛うばかりの人間を送ってくるとは思えない。 「それでも武器はいっちょまえだった」 真淵が顎をしゃくった。 「国内であれだけ揃えられるのはそういない。まあ、それで最初引き受けたんだがな」 じっとマンションのほうを向いている。 かすかに、戸を叩く音がする。螺旋階段を駆け上がる靴音が響く。夜行性の黒い虫たちが行動を開始した。うるさいくらいの羽音は奴らが素人であるという真淵の言葉を裏付ける。 「いいのか？ 留守番の命、保証できんぞ。ガキばかりとはいえ、玩具は立派なもんだ。いや、だからこそ危ない。高校生がナイフを持ってるのと大差ない」 また目元に皺が寄った。 べつに真臣を心配しているわけではない。この男は首藤真臣を知っている。どこで嗅ぎ付けたのか、独自の情報ルートを持っているらしい。 「……どけ、急いでいる」 身体を完全に溝から出すと、真淵の肩を片手で押した。 真淵は黙って、側溝から離れた。それでも去っていこうとはせず、遠巻きに様子を眺めている。 「ゆい、大丈夫だ」 俺は側溝に手を差し伸べた。 冷え切った手が、おずおずと握り返された。 旧い型のパジェロは、綺麗に磨かれていた。まさかこれあるを期していたわけではないだろう。真臣の顔がちらちらと浮かぶ。 後部座席には釣りの道具が積まれていた。週末に予定していたのかもしれない。キーを捻ると車は少し躊躇ったのち、軽快に吼えた。 視界のはじには真淵がいる。 俺はパジェロを発進させると駐車場の入口で大げさにカーブを切った。タイヤを擦って撥ねた砂利が、真淵のほうに飛んだ。 北へ。 マンションとは反対方向へと車を向けた。真淵はそれを見定めると踵を返し坂を下っていった。 窓を開け放す。涼しくなりはじめた空気が髪を扇いだ。――と同時に、遠くで銃声が聞こえた。 俺はアクセルを踏んだ。 |