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第一章「三津木弥生による一人称」 4.ＫＥＹ prev * index * next 服や下着、生活用品の類を買い揃えた。『守る』と決めたからには長期戦を覚悟した。少女がなにも持っていなかった以上、生活に必要なものはこちらで用意しなければならない。 買い物を済ませながら、ポケットのなかの鍵を指の間でくるくると回す。 鍵には小さく『ＫＥＹ』と彫ってあった。あたりまえのようだが、なんだか不自然にも見える。薄い金属の板。普通の鍵に見られるような凹凸が極端に少ない。最近流行りの電子ロックのようでもない。本当にただの金属片だ。 なじみの店で型を取る。 こんな鍵に何の意味があるのか判らないが用心に越したことは無い。そして、俺は帰路についた。 マンションに付くと、周囲の状況が一変していた。 出る時には見なかった車があった。風景に決して溶け込んでいないその車には、やはり不似合いな男たちが乗っていた。隠そうとすらしていない。 役人には見えなかった。 明らかに暴力団関係の方々だ。 （………！！） ひとめでチンピラと判るその男たちに混じって、見知った顔があった。 
いやな顔だ。出来れば二度と思い出したくなかった顔だ。先方にとってもそうであると信じていたかった。車の中の男は、俺を一瞥するとふんと笑って目を逸らせた。いまこの時点では、見張りとしての命令しか受けていないのだろう。俺は少し安心した。少なくとも中の二人は無事だ。 階段を上がる際にも視線を感じた。 踊り場を過ぎる時も。 遠距離から望遠レンズで見張っている者がいるのだ。これが、あの捜査官のいっていた、少女を保護しなければならない理由だろうか。たったひとりの小娘のためにこれだけの人員が借り出されている。組織だった動きがあるのは確実だ。しかも、あの男……あいつが出てきているとなると話は深刻だ。いったいいつ日本に帰ってきたのだろう。俺は舌打ちした。情報屋を手配しておくべきだった。 「――変ったことはなかったか？」 ドアのところでチェーンロックに阻まれる。 「あ、ごめん。今開けるね」 好ましくない訪問があったのだろう。俺は真臣がチェーンを掛けているところを初めて見た。 「誰か来たのか」 「えっとね、保険のセールスが１件。新聞の勧誘が２件。間違い電話が３件。イタ電が２件……」 俺が部屋を空けたわずか２時間の間にだ。 先方は体裁を保とうとは思っていないらしい。これは明らかなプレッシャーだ。こちらから少女を差し出すように仕向けている。ということは、俺や真臣の身元も明けているということだ。 「外はなかなか賑やかだ。なるべく出るなよ」 「判ってる。死にたくないし」 おちゃらけているが、顔は笑っていない。 「あいつは？」 少女の姿が見えなかった。 「寝てる。よっぽど疲れてたんだね。ぐっすり。きっと神経を張り詰めていたんだよ」 声に憐憫の情が伺える。俺は、そうか、とだけ言った。 日が高くなりはじめている。もう昼だ。外に居る男たちも真昼間から行動を起こすことはないだろう。今のところは安心していい。 「とりあえず食事にしよう。お詫びに作るよ、台所を貸してくれ」 少女はそのまま夕方まで目を覚まさなかった。俺と真臣も交替で休んでいたが、その間はなにもなかった。 真臣は『エラストテネス』のアルバイトの女の子に、店の入口に『臨時休業』の張り紙をしておくように電話で頼んでいた。常連客の多い店にとっては好ましくない事態だろう。 目を覚ました少女は、完全に縮こまっていた。 生まれたばかりの雛が最初に見たものを親と認識するように、一眠りしたあとの彼女は我々を保護者と認識したようだ。丸いつぶらな瞳から敵意が消えていた。少女は流し場で顔を洗うと、猫のようにぐしぐしとタオルを擦りつける。 俺はふと思っていたことを口に出した。 「お前、誰かに似ているって言われたことはないか」 「ない……ですけど……」 少女は不思議そうに俺の顔を覗き込む。 俺がじっくりと顔を眺めると、恥ずかしそうに目をそむけた。 「なんだか、嫌です……」 俺の記憶の中に彼女の姿はない。もともと女性の顔を長時間覚えていられるほどの記憶力はないのだ。だが、こいつの顔には何かが反応した。だから「守る」と決めたのだ。 「…………」 また、少女が顔を覗き込む。こういう仕草が癖なのだろうか。 「ねえ」 真臣が割って入った。 「とりあえず、自己紹介くらいしとかない？ 不便だし」 もっともだ。名前くらい知らないと困る。 「わたしは、マサオミ。首藤真臣。呼びにくければ、マキでもいいよ」 「マキ……さん……」 おずおずと喋った。 「ん、Ｏ.Ｋ.」 にっこりと笑う。いつか俺が誘拐魔の笑顔と評したやつだ。 「んで、こいつは弥生。三津木弥生。三月の弥生ね」 「弥生さん？」 戸惑っている。 マサオミにもびっくりしたようだが、マキと呼ぶことで折り合いをつけた。俺をヤヨイと呼ぶのには抵抗があると見える。 「女の子みたい……ですね。……って、あ、ごめ……」 言ってからしまった、と思ったのだろう。手を当てて口をぱくぱくさせている。 「……別にいい」 慇懃に返す。 「あ。あの、ボクは……じゃない、わたしは、ゆいです。天津ゆい、よ、宜しく……」 慌てて少女は自分の名前を名乗った。会ってから半日、俺は少女の名前を知った。 |