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第四章 重い嵐の前 （作：凡指揮官） 翌日のこと。 「をを！？ こ、耕介……その格好は……」 皆がそれぞれ学校や部活――薫は前から予定されていた剣道部の合宿へ、十六夜と一緒に行った――で、真雪と耕介、それから葉弓に猫と幽霊だけというさざなみ寮で、耕介の今の格好は異彩を放っていた。 「待て、何も言うな耕介。ちとサングラスをして――」 「んなもん持っちゃいませんて」 「ナニィッ！ なんて用意の悪い……」 仰々しく額を押さえてうめく真雪の前の耕介は、スーツ姿だった。それも黒と白がはっきりと分かれ、ネクタイは黒である。一般的に見れば何か不幸なことがあったかと見るのだが、なにしろ耕介の、ただのスーツ姿さえも見る機会なぞないわけで、二メートル近くある大男が後ろ手に両足を少し広げて立って見せればそれはもう身内の不幸というよりかはどこぞのＳＰか、ちょっといけない方々の部下か……サングラスをして髪をオールバックにすれば威圧感はさぞ圧倒的だろう。あまつさえ、彼の片手には、袋入りとはいえ御架月が握られているのだ。これでついうっかりにも江戸城跡にでも足でも踏み入れようものなら、公僕の方々に十重二十重で包囲されるのは、おそらく間違いあるまい。 「くそ、サングラスさえあればおねーさんがオールバックに仕立て上げて写真写りのいいように……」 ぶつぶつと呟く真雪に、冷や汗など一筋流しつつ、 「いやそれはやめてください」 「んで？ んな格好をしてどこ行く？ さざなみ寮の住人としては管理人がコスプレして外に出るのは難色を示したいんだけど」 「何ゆえコスプレですか？」 
さすがに目を三角にして真雪を見るが、 「だって耕介が着るとそういう風にしか見えないしぃ 」 くねくねと両腕を胸の前で合わせて体をくねらせる。 「はぁ…………ま、いいんですけど、ね」 とりあえず真雪のことはそのまま放っておいて、玄関へと急ぐ。こんな格好でバイクを使うのはさすがに気が引けるので、真雪から車を借りようかとも思ったが、駐車する場所を考れば、バスを使った方がいいだろう。きっと、車内でしこたま目立つだろうが。 「じゃ、行ってきます」 「おう……あ、耕介。出かける前に一つ、な」 頭をポリポリと掻きながら、真雪は続けた。 「昨日何があったかはあたしらは聞かない。ついでに、昨日の夜も葉弓さんとなんかあったっぽいけど、それもあたしは聞かない。ただ……あんたと葉弓さんの間に流れる妙な空気は、気づいているヤツには結構つらい。だから、なるたけ早く、な」 よく人を見ている――いや、観ている、か。真雪の人に対する観察力に、耕介はいつものことだが舌を巻いた。 「……喧嘩した、ていう訳じゃないんで……なるべく、早くになんとかします」 「ん」 耕介はそれで出かけ、寮にいるのは、人間は真雪と葉弓だけになった。 （さてと……参ったな……どうするか） 真雪は頭をボリボリ掻きながらスリッパをズルベタと鳴らす。歩みは心情を表してか、ひどく遅かった。 朝、起きて、皆で朝食の卓につく。それは、いつものこと。いつもでない空気が流れれば、敏感な者は分かる。しかし発生源が耕介と葉弓では、そもそもそんな空気の理由を聞くことはしにくいというのに、さらに理由が聞きづらい。そして尋常ではない耕介の姿を見れば、ますますさらに、理由は聞きづらいのだ。 （ま〜、私も知佳とそれやっちゃったことあるし、あんときに比べればマシかもしれないけど……） それが終わるまで付き合うことは、少なくとも自身には出来るだろう、と真雪は思う。しかし他の寮生は分からないし、それに時間もかなり限られている。扉の顔が消えるのに、あと一週間もあれば、といった現状は、すなわち葉弓がさざなみ寮にいる期間そのものだ。 彼女が帰ってしまえば、それでも微妙な空気が発生することは無くなるが…… （それだと解決にはならんしなぁ） むしろ、耕介と葉弓にとっていいことにはならない。解決しようと思うならば、期間は残り少ないと考えなければならないだろう。 「さて、どうするかな」 さしあたって、葉弓と話すべきか。将棋でも指しながら――彼女が指せるといいが。 寮という集団が生活する場において、こういったことの解決を図る。それぐらいはしてやろうと思えるだけの年長者としての自覚を、真雪はしっかりと持っているのだ。 「すみません」 『いや……ただ、このことは僕の一存だ。それと』 「ええ、分かっています。誰にも言いません。自分で探したことです」 『神咲君やもう一人の人に見抜かれたら、ちゃんと口止めしておいてくれよ』 携帯電話が切れる。向こう側にいたのは、吉野だ。 迷惑をかけた、とそう思う。 普通、どこのなんという退魔士がこれこれこういう風に祓いました、というようなことを遺族側に伝えることはないし、逆に遺族側から連絡がくるようなこともない。人ごと滅した場合も、死因にしろ何にしろ、誤魔化せる限り誤魔化す。だが今回の場合、依頼者がその様子を見てしまった。そうなれば、どういう悪霊、あるいは物の怪の類が憑いていたのか、とか細かに説明をしなければならない。通常、幽霊の存在など認知もしなければ信じるでもない一般人に対して、だ。 信じない者にとっては、そんな霊障など与太話であり、自分の身内、あるいは親しい者が死んだ理由がそんな与太話であれば納得できるはずもない。 ゆえに、どんな場合でも、絶対に依頼者に退魔士の住所を明かすことはしない。 幽霊など信じられない者にとって、退魔を行った人間は戯言をほざいて人一人を殺した殺人者でしかない。 耕介は知らないことだが、以前、同じようなことがあって、そのことを遺族が公的に訴えようとして、退魔業界と警察上層部で大問題に発展したことがある。非常手段として、人ごと祟りを滅した退魔士を、妄言を吐きながら人を殺した精神異常者としてしまおうか、という話さえあったが、すでに警察から退魔士の説明がなされていため、その手を打つことさえも出来なかった。 ようするに『警察が退魔士がいて云々と言った』と遺族に裁判で言われれば、説明した本人が勝手にそんなことを言ったんだ、と主張してみたところで説得力の欠片もない。まして、切り捨てられる側にとってみればたまったものではない。他の退魔関係者への影響もある。 結局のところ、遺族に涙を呑んでもらうしかなかった。 何か処罰をしようにも、誰にも責任を持っていくことが出来ない。現場にいった警官全てが退魔のことを知っているわけではないから、よしんば知っていても、退魔のことを知らない警官達も納得のできる処罰理由がない。 見舞い金を払って、それで終いである。双方がいかに納得できなくても、それ以上することが出来ないのだ。 「遺族に会いに行く…………俺の身勝手な自己満足なのかも、な」 バスを降りて、歩きながら呟く。 恨まれるのは、まず間違いないだろう。御架月をつれてきたのは、こういう席に何をぼけた事を、と放り出されてしまうことを避けたかったからだが……退魔の世界があることを信じて貰えたとして、恨まれるのは避けられない。恨まれてグサリと刺されたくも無い。逮捕、拘束されることはもちろん法の裁きを受けることもなく、償いなどきくことではない。 だが、そんなことよりももっとつらい感情をぶつけられる。それは、恨みや憎しみをぶつけられる以上につらいことになる。出来うるなら、それは避けたいことだ。逃げたい、とすら思う。 （俺も葉弓さんのことをどうこう言えないな） こういったことを経験したくなければ……あのときに、彼の命を救う以外になかった。 しかし、それはもう出来ないことなのだ。 「クッ……」 ただ、呻く。もう、取り返しのつかない様に、真雪はただ己の無力さを感じるのみだ。後悔は、いつまでも尾を引きながら、しかし尾を引いているだけのことには意味がない。それを分かるのだが、尾を引くだけ、ということを止められはしない。 耐えればいい。自分さえ耐えて見せればいいのだ。のしかかる事実に、自分さえ耐えれば。しかしそれは、確実に死を、より深い後悔を生むことになる。取り返しが利くならば取り返し―― （出来る！ 取り返すことは、出来る！） 真雪は、心の中でそう信じた。 その通りだ。完全にはムリでも、ほんの少々、些細な悔恨だけが加わるだけの、あとは元の通りに取り返しがつく。 それを実行するには、二つのハードルを越えるだけだ。高いハードルではあるが、たった二つだけを越えさえすれば取り返しがつくのだ。 必要なのは、決心だ。そして真雪は、決心した。 「待った！」 すがすがしく、笑顔で、片手をきっちりじゃんけんで言うところのパーの形にして、それを掲げて言う。これが第一のハードルだ。言うことは恥ずかしく難しく気が引けて、しかし、言ってしまえばもうハードルは飛び越えて、次なるハードルが待って―― 「待ちません」 にっこり対応されて、あっけなく第二のハードルの前に真雪は肩を落とした。 残念にして、取り返しはつかなかった。真雪に残されたのは、今や龍となった飛車と見捨て、王を救うだけだ。こんなとき、両取りをかけられても焦ってはいけない、他にいい手があるかもしれない、と教本は謳っているのだが、残念にして現状ではいい手はなかった。 攻撃の基点となっていた龍が取られ、それは同時に葉弓の戦力アップを意味する。劣勢を盛り返そうとしていた矢先の龍の損失は、真雪にとってはあまりに痛すぎた。ほどなくして、銀によって斜め後ろから王が仕留められる。 「いや〜、参りました。あたしもそれなりに強いつもりでいたけど、葉弓さんがこうまで強いとは」 「門下生の人や、父とよく打ちますから」 「じゃ、もう一局」 「いいですよ――あ、でも、そろそろ扉の除霊をしないと」 「いいじゃないスか。あんだけ小さくなりゃ一日二日、ほかっといても」 「そういう訳には」 いかない。なにしろ、あれを落とすのは、純然たるお仕事だ。一応耕介から足代込みの依頼料を渡されている――とはいっても、普通の相場から考えると激安ではあるが。不足分は三食寝床つきという環境で十二分に補われているといっていいだろう。 さて、しかし真雪は引き下がらなかった。 「皆にはあたしが良いって言った、てことを伝えときますから、ここは一つ、ＯＫてことで」 「でも――」 「一、二時間ほっといたらまた元のサイズに逆戻り、なんてことはないんでしょ？」 「絶対に無い、とは言えません」 「そなの？」 「はい。あれでも霊障です。きちっとした対応をしないで何かよくないことでも起きたら」 頭をグシャグシャと掻き上げて、真雪は天を仰いだ。あの緊張感ゼロ不快感百パーセントな物体？でも寮内で言うところの『薫関係』のものであることに間違いはない。 「そう言われちゃったらな……ほんとは、ちょっと言っときたいことがあってね」 「……耕介さんとのことですか？」 「感情のぶつかり合いってのは、どんだけ隠しても敏感なヤツは気づくもんだから。まあ、様子でいうなら……昨日帰ってきたときから、かなり変だったけど」 葉弓は盤に目を落とした。それは真雪の視線から逃げる為だったのだろう。 「あたしゃ別に、昨日何をしてきたか、聞く気はないっすよ。まあ……あたし等には何も言えないことばかりだと思うから。ただ――」 「ただ？」 「ここの寮生達は、そういうことには結構敏感だったりするのよね」 「御免なさい」 いきなり頭を下げられて、真雪は首をかしげた。まあ、盤に目を落としたままの彼女がそれに気づくとは思えないが。 「皆さんにご迷惑おかけして……ちょっと、耕介さんと言い合いをしちゃって、でも別に喧嘩とかしているわけじゃないんです。皆さんが帰ってきたらちゃんと――」 「チョイ待ち！」 だいたい、何を言おうとしているのか分かって、片手と口で葉弓を制すると、 「そうじゃない。確かに、喧嘩しているときの雰囲気とか、微妙な空気ってのをここの寮生達は皆感じやすい方だと思うし、そういう空気ってのは最悪なもんだけど……だからって、無理やり飲み込んで解決図られるのは、あたし的にはそういうの、最悪よりもっとダメなわけよ。あたしが言いたいのは、そういう風になっても、いつまでもとは言わないけどここの寮生は付き合ってやれる、てこと。少なくともあたしのときはそうだったから」 「真雪さんのとき？」 盤から目を上げて真雪を見るが、今度は真雪の方があさっての方向を見て、手などパタパタとやりつつ、 「まあ、それは横においといて、安易な解決してほしくないのよ。絶対、尾を引くからさ。あたしが言いたかったのは、これだけ」 盤の上の駒をかき集めて、箱に入れる。二つに折った盤に駒の入った箱を載せて、ヨッと真雪は一声出して立つと背伸びをする。胡坐をかいて腰を丸めていたから、いい加減腰が痛かったのだ。 「まああれだ。なんか、相談ごとがあるんだったら、可能な限りで相談にのりますよ。それくらいの歳と経験はあるつもりだから」 そういって、リビングから出て行く。そんな真雪に感謝しつつも、 （もし、私が人を殺したと知ったら、それでもそんなに親身になってくれますか？） 心の中で呟かずにはいられない。それが退魔士にとって、希少なケースではあるもののありうる、ということを彼女が知ったら、相談にのってくれるのだろうか。 ピンポーン 来客、あるいは誰かが帰ってきたことを告げるチャイムが鳴って、思考が中断した。ドアのチャイムは、割としつこく鳴っている。そして、やむ。真雪がドアフォンに出たのだろう。 「はいはい、ちょいと待って下さい」 ほどなくして、パタパタとスリッパが廊下を叩く音が玄関の方へと向かう。そのパタパタという音が止んだ、まさにその瞬間だった。 「！？ そんな！！？」 葉弓が、己が感じた何かを信じられずに立ち上がったのと、真雪がさざなみ寮のドアに、外側から拳が貫通するのを見たのは。 葉弓が玄関に飛び出したとき、真雪の目はただ開かれたままで扉から突き出された手を見つめていた。その手はパタパタと何かを探すように動いて、ドアの鍵のつまみに触れるとそれを掴んで回した。カチンと音を立てて鍵が開いて、手がドアの外へと消えていく。 「ちょっと乱暴にして御免なさい。お邪魔します」 そんなことを言いながらドアを開けたのは―― あとがき 展開が急だなぁと、他の章と合わせても頭を掻く凡指揮官です。 さて……とらハで、ゲームに関しては絵すらない葉弓さんですが、そんな彼女の両親や真鳴流門弟の方々に関して、頭の中でいろいろと妄想しています。私の話では、後に葉弓は耕介と結婚して双子を産むのですが（名前は那弓と遠矢）、彼女が真鳴流当代ということで、耕介と結婚することで実家から離れるということをうじうじ悩んで心を殺しかけていたのを、両親や門弟達が知って、両親（特に母親）が葉弓に内緒で音頭をとって、葉弓が家を捨てて耕介のところに行くように仕向けるという……あ、なんだ。神咲真鳴流の連中は揃いも揃って演技派なやつばかりだ、とか思ったり。一方でさざなみ寮では耕介がたいがい離れ離れがつらくなって、葉弓は家を捨てられないだろうからと自身が管理人辞めて青森行こうとか決めちゃって、あっさり真雪に看破されて（真鳴流の方に連絡を取ったのはこの人だったりする。だから葉弓の両親は一芝居を打ったわけ）、葉弓が家を出て行く日に合わせて耕介が管理人を辞めるように愛や美緒達寮生と謀り、送別会と称して耕介に一服盛って簀巻きにして押入れに放り込み、恭也に監視させるという荒業をやってのけたりするのである。んで、葉弓は尹沙奈を置いて車で家出したので（実は門弟が尾行していたりする）、両親は尹沙奈を持って鉄道でさざなみ寮に先回りし、やってきた葉弓を笑顔で迎えるという。なんかすんげぇ話かも。あ、ちなみに耕介は簀巻きのまんまで葉弓や両親と対面するはめになります。あと引越し先の契約の解除等のせいで、彼の貯金が削れますが、まあ幸せに対するささやかな出費さ、なんて思ったり。 以上、凡風味な妄想でした！ 茜屋様ならびに私のＳＳ読んで下さる方々に感謝の意を表しまして、あとがきとさせていただきます。 ▼next ▲prev |