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序 許せない芝居 （作：凡指揮官） 男が一人、そして女が三人、湖のほとりにいた。 ただいただけではない。動き回っていた。 いや。動き回っていたという表現では、生ぬるい。 一組の男女は、刃物を抜いてときにジリジリと、ときに俊敏に斬りつけ、それをかわしていたし、一組の女達は、一人がもう片方を捻り倒して押さえつけ、押さえつけられた方はそれを跳ね除けようと暴れていた。 「こ、耕介さん！ お願いです！ 止めてください！！」 「今更何を！ 君が言ったことだろう、薫！」 抜き身の刀を握る薫に、刀と比べて遥かに間合いの短いナイフで耕介は斬りつける。 刀身が短すぎるゆえに、刀で間合いを遠くしてナイフを避けることは、薫にとってはさほど難しいことではなかったが、かといっていつまでもそうしてはいられない。耕介の攻撃には迷いがない。一方で薫には迷い――というか、理解できないししたくもない状況に心が制圧されている。 「か、薫！！ は、放して！ どいて！ 葉弓さん！！」 組み敷かれた女はその状況に、自分を組み敷く女に叫ぶが、彼女は凄惨な笑みを浮かべ、 「いやよ。私も耕介さんと同じ思いだもの。楓ちゃんを放したら、耕介さんを止めちゃうでしょう？」 「んなッ……なんでや！ なんで――」 「久遠を、薫は殺そうとした。大切な存在が殺されかけて、殺そうとしたやつを恨まないやつはいないだろう？」 ヒュン、とナイフを振って、薫を湖のふちに追い詰めながら、耕介は楓に答えた。 「薫や那美ちゃんほどじゃないが、俺も久遠とはそれなりに長い。大切に思えるようになる時間は、たっぷりとあったのさ」 耕介の言葉に、葉弓もうなずく。 「私も、接した時間は短いけど、あの子は大切な子だわ。だって、御祖母様が命をあげた子なんですもの」 「だからって！」 ブンッ！ 薫が横なぎに刀を振るって、耕介を下がらせる。普段の薫の振りから考えれば随分と遅い一閃ではあったが、それでも肉くらいは容易く斬れそうではあった。 「うちだって、あの子のことは大切です！ うちだって、あんなこと――」 「したくなかった、か？」 「！」 耕介が、凄まじい笑みを浮かべた。 「だが、君はしようとしたな。恭也君に、十六夜さんを向けてまで」 ナイフを下ろし、両腕を広げてみせる。 「十六夜さんで斬りつけられりゃ、どんなによくても重傷だよな。恭也君は結構な腕の剣士で、君と斬り合ったらしいじゃないか。腕の立つ剣士と斬り合って、まさか峰で打って眠らせるなんて真似は出来ないだろう？ 骨を断たなくても、当たり所一つで簡単に命を奪えるのが刀、なんてことを説明する必要も、まさか、ないよな。もし彼を斬ったら、那美ちゃんは君を許すかな？」 一歩、前に出る。 「なのはちゃんや美由紀ちゃん達は、どうかな？」 さらに、一歩前に出て、薫は気おされるように後ろに下がる。もうすでに、水があと一歩下がれば足がつかるという位置に広がっていた。 「だから……だからって！ あのときは――」 「殺すしかない、かい？ 久遠は危険な祟り狐。封印が解ける前に殺すしかない、と？」 薫は沈黙し、耕介を睨みつける。その眼光は鋭かったが、しかし―― 「なら、何故今まで殺さなかった？ 俺たち、今さざなみ寮にいる人間が久遠と接する前に。恭也君たちが久遠と接して、友達になる前に。いや……那美ちゃんが、久遠と友達になる前に！」 薫の瞳が、心の動揺で揺れる。 「今という人口の多い時代じゃ、久遠が祟り狐のまま復活すれば、数千単位で人は殺されただろうなぁ。だけどな――」 ナイフの切っ先を薫に向ける。 「今更になって、やっぱり危ないから、かわいそうだけど殺す、だと！？ 君が言えることか、それは！？」 『耕介様！』 唐突に、薫の持つ刀から女性が現れる。 『薫は、薫は耕介様とは――』 耕介は皆まで言わせなかった。 「薫は俺たちよりは久遠に長く、深く接していた、ですか？ そして今回の決断を深く悩んだ、ですか？ 十六夜さん」 ふん、と鼻で嘲って、 「そんなことは知っていますよ。しかし、だから俺や葉弓が薫を恨んではいけないという理由には、全くならないですね。まして、薫は那美ちゃんにこう言ったそうじゃないですか。『恨んでくれても、憎んでくれても構わない』。その言葉通り、久遠と親しい俺達は、親しい者が殺されそうになった恨みをこうして――」 ブンッ！ ヒュッ！ ナイフを払い、突く。 「うわ！？」 後ろに飛んだ薫は、水に足を取られかけ、しかしなんとか態勢を立て直す。しかし、もう後はない。 「晴らそうとしているわけですよ」 スッとナイフを下ろし、大またで三歩下がる。 耕介のその動きの意図は分からなかったが、誘われるように、薫は三歩前に出た。 それに対して耕介はどうこうするでもなく、ただ口を動かす。 「ただね。薫も俺にとっちゃ大切な人の一人ではあるんですよ。本当にこういうの、やりきれないですよねぇ。親しい者が、別の親しい者を殺そうとする。そして、その両者の間には信頼関係と愛情があることを分かる。恨みたいが恨みたくない。恨みたいが恨めない。しかし、殺そうとしたことは取り返しなんてつかない事実だし、となれば、こういった思いはどうなるものなんでしょうかねぇ」 沈黙が、場を支配する。 「なのはちゃんが真実を知ったら？ 寮生達が知ったら？ 俺たちや那美ちゃんの悲しくやりきれない思いは、薫一人が憎まれれば消えるものか？ そういったことを分かって、その上で『恨んでくれても憎んでくれても構わない』なんて言ったのか！？ どうなんだ、薫！」 「う……」 葉弓が、さらに薫に追い討ちをかける。 「薫ちゃん。貴女、人から恨まれたことないでしょ――いいえ。より正しく言うなら、恨まれたときは、貴女は常に安全でいられた。貴女だけじゃなく、貴女の大切な人も、ね。だからそんなことを言えてしまう」 「もし久遠を斬っていて……那美ちゃんに、『薫ちゃんの大切な人を一人殺すわ』なんて言われたら……薫、君はどうする？ 君は恨んでいいって言ってしまったよな。まさか、気持ちでは恨んでいいけどそれを何かの形で実行に移すことは許さない、なんて言わないよな？」 「…………うちが――」 「君が殺されれば、今度は君を大切に思う人、俺もそうだし葉弓も、楓ちゃんも、君の家族や他の友人全ても殺したヤツをどう思うかな？ それが他殺にしろ、自殺にしろ、な。それに君を那美ちゃんが殺したら、那美ちゃんは何を思うのかな？」 言葉が、逃げ道が、完全に封じられた。何も言い返せない。唯一、退魔士として久遠を斬ろうとした選択は間違っていなかった、と信じてはいるが、だがそれを言ったところで何になるというのか。 『耕介様！』 薫が何も言えなくなったと悟って、十六夜が叫ぶ。 『耕介様も一度は退魔の道に入られたなら、退魔士として薫が選択したことをお分かりになられるはずでしょう！？ 葉弓様も、貴女は真鳴流の当代ではありませんか！』 しかし耕介も葉弓も冷淡に返してきただけだった。 「元退魔士だとなんです？」 「現役の退魔士は、恨みの感情を持ってはいけないのかしら？」 十六夜は絶句して沈黙する。 
「さあ」 一歩、耕介が足を踏み出す。 「う……」 薫が、一歩下がる。 「さあさあ」 さらに一歩。葉弓は凄まじい笑顔と――何か、別の感情を込めて、それを見る。楓はほとんど泣きそうで、しかし歯を食いしばって葉弓の拘束を抜け出ようとあがいていた。 「さあさあさあ！！」 「うああああッ！」 叫んで、がむしゃらに地を蹴って、耕介の横を駆け抜ける。この場から逃げたくて、心が乱れに乱れ、刀をまっとうに振れるはずもない状況で、人を斬ったという確かな手ごたえだってなかった。しかし―― 「ぐおッ！」 耕介が、胸に手をやってよろめいた。耕介の服の胸あたりが一文字に切れて、血がダクダクとあふれ出ている。それはあっという間に耕介の服を濡らして、地面にポタポタと赤い雫を落とす。太い血管を傷つけてしまったのだろうか。その出血量は、どうみても致命的な傷のものと知れた。 耕介は膝をついた。 「あ……あ……」 その様子を茫然と、薫は見つめていた。楓も暴れるのを止めて、ただその様子を見つめるしかなかった。ただ、葉弓だけは、なにやら心配そうな表情で耕介の傷口を見つめている。 「こうして……しまったら…………君の、心は、どうなるんだ…………」 それだけを言って、耕介は崩れるように倒れた。 「こ、耕介さん！ 耕介さん！！ うわああああああああああああ！！！！！！」 薫の絶叫が、森をつんざいた。 あとがき 初めてとらハのＳＳを書く凡指揮官です。 この序章部分に、大体とらハのＳＳ書こうかな、と思った動機が詰まってます。文が拙いので分かりにくいかもしれませんが…。 いきなり耕介が血みどろになって倒れてますが、ちょっぴり怪我しているだけで死んじゃいませんのでご安心を。わたしゃ彼らが死ぬ話はちぃとも書く気はありません。 頑張って、完成までこぎつけますんで、ちょいとばかし見てやってくださいませ。 凡指揮官。 ▼next ▲prev |