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――はじめに―― この作品は「とらいあんぐるハート２ さざなみ女子寮」に登場する（正確には、ここでのみ攻略可能なキャラである）井上ななかのシナリオを基に、書かれたものです。 従って、ななかちゃんシナリオをクリアしてからお読み頂けると幸いです。 では、つたない物語にしばし、お付き合い下さいませ。 情景 〜飛球〜 甲高い、きんとした音が響く度に、白球が勢い良く飛んでいく。 槙原耕介はその様子を、後ろのスペースで椅子に座って見守っていた。ボールは、天井のネットに当たるとその力を失い、一直線に下に落ちる。 落ちる様を追うより先に、奥に据えられたピッチングマシンが、また新たな一球を放つ。バッターは、ぎりぎりまで待ち構え、バットを振る時を待つ。 半身に構えた身体がわずかに動き、腕を回してバットを球に当てると、また仰角の付いた打球が飛んで行く。 耕介は三十球打ち終わると、後は見物に回ってしまった。周りを見ると、二十ほどあるバッティングスペースに人はまばらだ。 （経営、大丈夫なのかねえ？） つい、そんな事を考えてしまいたくなるほど、人がいない。金属的な音が、時折思い出したかのように辺りを飛び回るだけである。 「負けたら、お昼おごりです！」  そんな、彼女――井上ななかの元気の良い掛け声に引きずられて、耕介はデートする度にバッティングセンターに立ち寄る羽目になり、目下敗戦記録を更新中である。 だが、悪い気はしない。何しろななかは、学校に通いながらもバイトをしているという忙しい身の上だからだ。自分のおごりで彼女が喜ぶなら、何の事もない。 ちんけな同情と周りに言われようが、ただ口だけ挟んで実際には何もしないよりよほどマシだ、そう耕介は思っている。 それにしても、幼馴染みである千堂瞳の後輩に、どうして俺は惹かれたのだろうか。 初めて会った時から、ななかはいつもどこかで〔勤労少女〕をしていた。 どんな事にも、手抜きをせずに真正面から打ち込むその姿勢。 飾り気のない、真っ直ぐな性格。 （何と言うか、放っておけないんだなぁ……） それまで、まだ幼馴染みに心のどこかで後ろめたさを伴った未練を持っていた耕介が、その時素直にそう思ったものだ。 うじうじとわだかまっていた〔未練〕とはまた別の見方を、瞳に対してようやく出来るようになったのは、それからの事だった。 人間とはそういう意味で、結構現金に出来ている。 ある時――あれはいつだったか、美緒を連れて街に出て来た時。 折角もらったバイト代の入った封筒を、どこかに落としてしまったななかに会って、放っておけず美緒にも手伝わせ、代わりに封筒を捜し出した事があった。 封筒そのものは美緒の活躍で見つけたのだが、誰かが懐に入れてしまっていたらしく、中身は空っぽだった。 「落し物は、交番に届けましょう」 今時誰が、そんな〔良い子〕を演じるものだろうか。そんな美徳――人によっては〔偽善〕と切って捨てるようなものだ――はとっくに失われてしまっている。 しかし、その封筒の中にはななかがひたむきに仕事をした、その正当な報酬が入っていたのだ。こんな浅ましい事で、彼女のした事が無になってはいけない。 耕介がした事は、もしかしたらこれもまた〔偽善〕と呼ばれる類のものだったろうが、そんな事はこの際どうでも良かったし、気にもならなかった。 封筒を受け取ったななかが、安堵の笑みを浮かべたのを見た時。もう、耕介はななかを放っておくには深入りし過ぎていたのだ。 彼女に、何と言うか〔健気〕を見てしまったが故、なのだろうか。 「美緒、この事は誰にも言うなよ？」 封筒を見つけた功労者は、今も約束を守り続けている。さざなみ寮の他の住人――オーナーの槙原愛を始め――も、知ってはいるが何も言わない。 気が付いた時には、井上ななかという少女は、耕介にとって恋愛の対象になっていた。 瞳に憧れて、護身道に打ち込む彼女の姿も後に見る事になったが、その姿は耕介にとって瞳とはまた違う、原石の魅力とでも言うべき何かを持っていた。 護身道とバイトに熱中する余り、成績が下降線なのは、まぁ愛嬌というものだろう。勉強はもちろん大事だが、それだけで人間の全てが決まるわけじゃない。世の中、勉強して成績が良いからと言って、それを鼻にかけて胡坐をかいているようでは、結局勉強した意味がない。 かつて自分が失ってしまったもの、いや、忘れてしまったと言うべきだろう何かを、ななかは持っている。 それは忘れずに、大事に守るべきものだ。例え、こうして時々しか会えなくとも。時々しか会えないから、だからこそ。 「甘やかされると、だれちゃうから」 笑って言ったななか。 「まぁ、それでも結局、飯の時点で甘やかしてるわな……」 コーラを飲み干して、耕介は苦笑した。まだ、ななかの打つべき球が数球残っている―― 今では、たまに瞳が寮に遊びに来ると一種の、 （のろけ合戦） が始まるのが常だ。 瞳は、気まずい形で別れてからしばらくの間、それこそ彼氏の「か」の字もなかったのに、今では立派な彼氏持ち――相川真一郎という名だ――の身分になっている。 それにしても、どこでどうやってとっ捕まえたものか――こんな事を言うと、瞳には叱られてしまうが――少女と見紛うばかりの美少年を。 もちろん、のろけ合戦で耕介に勝ち目があるわけもない。普段の優美な中にも凛とした風情を持つ瞳が、まるで何もかもかなぐり捨てたかのようにでれでれと、 「んもう、真一郎ったらね〜♪」 臆面もなしにのろけまくるのは、ある意味破壊力抜群だ。 「まぁ、俺にとってななかは、大事だから」 せいぜい、この程度しか切り返せない。 （ともあれ、俺にも瞳にも、大事な人が出来たんだ。それは、喜ぶべき事じゃあないか） ひと際大きな金属音が鳴り響いた。ななかが、最後の一球をホームランにした音だ。 「ぃよっし！」 ガッツポーズを見せるななかが、耕介にはとても眩しく見えた。 「終わったな」 「耕介さん、リタイアするの早過ぎです」 「あはは、まぁそう言うなよ。あれ以上やっても、まともに打つより空振りが量産されるだけだからなぁ」 「それじゃあ賭けにならないですよぉ……」 「まぁまぁ。さて、今日の昼飯はどこにする？」 「え？ あ、う〜ん」 「まぁ、負けた方のおごりだからな」 「あ、そうだ。最近美味しいって評判のラーメン屋さんが、駅裏にあるんですよ。行ってみませんか？」 「うん、いいねぇ。行ってみようか」 「はい♪」 ――それは、とある昼下がりの〔情景〕である―― 情景 〜飛球〜 了 |