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「La...LaLaLaLa-La-...LaLa-La-La-La-」 好きな歌を口ずさみながら、庭園を散歩する女性が一人。その後ろを、もう一人の女性がついていく。 ブロンドにも似た金色の髪を風になびかせて、のんびりとした青空の下を歩いていた。 「ねぇ、エリス。恭也はいつ来るんだっけ？」 「何回目だと思ってるんだ……今日の夕方だよ」 女性は懐中時計を取り出して時間を見た。まだお昼前で、そろそろ校舎からチャイムが聞こえてくる頃合いだ。 ぱたんと時計をしまってニッコリとエリスに微笑むと、今度はスキップしながら噴水のある場所まで急いだ。その先にあるのは、もう校門だけ。 「お、おい、フィアッセ！ 昼食に間に合わなくなるぞ！」 「いいもーん。自分で作って恭也に食べさせるんだからー。ね、こうやって『あーん』って」 スプーンを差し出すまねをして、本人もいないのに照れまくって身体を揺らす。 エリスは盛大な溜め息を吐いているのは分かったが、何でそんな沈んだ雰囲気なのかさっぱりだった。 「あぁ、早く来てくれ恭也……フィアッセが壊れる」 フィアッセ・クリステラは呑気に小躍りしながら、もうすぐ来るであろう恋人を待ち続けた。 ベルが鳴り、昼食の時間が告げられる。一度戻ったフィアッセだったが、そこでちょっとした事件が起きた。 何だか食堂が騒がしい。少女達のざわめきがあちこちで広がり、背びれに尾ひれ、胸びれに尻びれまでついて盛大な噂が立っていた。 「どうしたの？」 「あ、校長先生！」 とてとて寄ってきた女子学生が、興奮した様子で今の話題について教えてくれた。 それと共に、エリスの顔がどんどん怪訝なものに変わっていった。 「先生、事件です！ 何物かが学校内に侵入したらしくて、変質者なのかと……あっ」 少女が小さく声を上げたが、途端にこくこく頷いて黙りこんだ。 不審に思ったフィアッセがエリスを振り返ると、指で眉間を押さえていた。 そうかと思いきや、ハッと顔を上げてフィアッセを見る。シリアスな表情になったエリスは、懐を確かめた。どうやら銃に弾は入っているらしい。 二人は顔を見合わせて、同じように首を振った。何者であれ、不法侵入は不法侵入だ。 とはいえ、エリスの表情は何だか変だった。そのことについて訊ねると、歯切れの悪い答えが返ってきた。 「いや、気配を感じなくてな。殺気も欲望もない。強いて言えば、『入る』のが目的みたいな気さえする」 フィアッセはアゴに手を当てて考え始めた。犯人の目的は何だろう。「入るのが目的」とはどういうことだろう。 後ろでエリスが口許と腹を押さえて密かに笑いのツボを押しっぱなしにされていたが、全く気づかないまま時は過ぎた。 警備を増やして、来るべき不審者に備える。食事は緊張したものになったが、食堂に彼が現れることはなかった。 午後一番、フィアッセはいくつかの書類に目を通してサインすると、講義で学生を教え、再度注意を促した。 「……ぷぷぷ」 警戒すればするほどエリスが笑い出す。あちこちで目撃情報が耐えなくなってくると、いよいよフィアッセは自室の引き出しを開けてピストルを取り出した。 使い物にはならないだろうが一応自衛のためだ。 その様子を見ると、いよいよエリスは笑い出した。 「な、何がおかしいのよ！ 確かにわたしは銃なんて似合わないけど……知らない人がスクールの中に紛れ込んでるのよ！」 「いや、知らない人じゃないよ？ というか……ぷぷっ、はははっ、フィアッセ、本当に面白い！」 いよいよ腹を抱えて大笑いを始めたエリス。意味が分からず、何だか置いてけぼりみたいで腹が立った。 反駁しようとすると、エリスはピストルを引き抜いてフィアッセの脳天にぴたりと銃口を向けた。 「この銃が向いてる方向を見てみれば分かるよ。そろそろ私も笑い死にしてしまう」 えっ、と後ろを振り向いた瞬間、何かがしゅっと風を切って抜けていった。ピストルが弾かれて床に落ちる音がし、いつの間にやらそこには男が一人立っていた。 フィアッセは慌てて時計を見る。まだ一時過ぎ。夕方とはとても呼べない。 「恭也……いつからいたの？」 「そうだな、お前が庭で散歩してた頃かな」 サラッと言ってみせる恭也。スキップしたり『あーん』とかやってたりしたのも、全部見られたのだろうか。 反射的にエリスを見る。彼女は神妙な面持ちで首を縦に振った。 「そ……それってほとんど最初からじゃないー！ 恭也ずるいー！！」 ずずいと迫って、恭也の胸をぽかぽか叩く。史上最強の剣士はどこ吹く風で笑っていた。 話を聞けば、増援の警備まで巻き込んでの盛大なドッキリだというのだ。 ほっぺたを膨らませていると、恭也は「悪い悪い」と謝ってきたので仕方なく許すことにした。 『仕方なく』許してあげることにした。 「エリスにはとっくに感づかれてたから、いつまで気付かないか勝負してたんだ」 「ちなみに、昼前に恭也が私の前に姿を見せてからは、スクールの皆にだけは通知していたぞ」 なるほど、エリスが笑い続けていたのもよく分かる。でも、それにしたってひどい。早く会いに来たのなら、早く現れてくれればいいのに。 ……寂しかったんだから。 「でも、好きな人には本当に甘いのね。夕方までバレずにいたらあなたの勝ちだったのに、それをみすみす捨てるなんて」 「えっ」 恭也の微笑も止まる。焦った様子で口元をヒクヒクさせ、エリスの首元に小太刀を突きつけていた。 それが本気ではないと分かっていても、やっぱり緊張するものがある…… と思いきや、思わずクスリとしてしまいたくなる一言を放った。 「それは秘密だと言っただろう」 「さぁな？ フィアッセを寂しがらせたんだから当然だろう」 ぐぬぬと何も言えない様子の恭也。プッと吹き出したフィアッセは、コトがあまりにも穏便に終ったことで安堵し、同時に不可解に思ったことがあった。 ずっと後ろにいたということは。 「恭也、まさかお昼ご飯は？」 念のために聞いてみると、恋人はゆっくりと首を横に振った。些細ないたずらのためにそこまでするなんて、オフの恭也らしいというか何というか。 「お前の慌てた顔が見たかったんだ」と精悍な表情で宣言されて、誰が納得せずにいられるだろうか。 だから。 「それじゃ、お茶にしましょう。美味しいクッキーを焼いてあるから♪」 今度は恭也を困らせる番だ。エリスが目を背けるくらいいちゃいちゃしてやる。 何と言っても、最強の剣士たる高町恭也があたふたしている様子は、フィアッセだけが見れる特権なのだから。 *** 応接室の札を「来客中」に切り替えて、温かな紅茶とクッキーを用意した。 集まったのは、いつもの三人組。アイリーンは奥の執務室で書類仕事。そこにサインが全部書き込まれるまでの間、今日のフィアッセは平和な一日を堪能できるのだ。 右腕がさっきからうずうずしている。恭也に会うのはもう二ヶ月ぶりなのだ。 「はい、あーん」 「……クッキーくらい一人で食えるぞ」 「いやん、もう恭也ったらいじわる♪」 そんな訳でここぞとばかりに甘えまくることにした。エリスは微笑みと苦笑の境目で顔をコロコロ変えている。 フィアッセは、恭也が口を開けるまでずっと粘るつもりだった。何度かの「やめてくれ」と「お願い」を繰り返して、やっと彼は折れてくれた。 「はい、どうぞ♪」 エリスが見てる前でとか何とかもごもご言っていたが、いたずらにはいたずらでお返しだ。 指ごと口の中に入れて、ついた粉まで舐めさせる。お残しは禁止。 もぐもぐやっていた恭也の顔は真っ赤だ。ちゃんと反省してくれているようで大変よろしい。 紅茶を飲んでほうと一息つくと、神妙な面持ちになってカップの水面を見つめた。 「甘すぎず、柔らかすぎず……俺の好みを知り尽くしてるな」 「当たり前でしょ、もう♪」 くねくね身体を揺らしながら照れるフィアッセ。恋人の好きな食べ物はもちろん、味の濃さや硬さ、こだわりの銘柄まで全部分かっている。 胸を張って答えると、ぴくりと恭也の眉が上向いた。 「どうしたの？」 「いや、何でもない」 文字通りえっへんと張った胸に、一瞬だけ視線を注がれていた――なるほどなるほど！ 
後ろに回って、胸を恭也の頭に乗せる。無言のまま、意味もなく我慢大会が始まった。 「……何やってるの」 「当ててるだけよ」「当てられてるだけだ」 休憩がてら顔を出すなり、呆れ果てるアイリーン。そりゃまぁこの状況を見たら呆れる以外の選択肢はあるまい。 溜め息一つ、皮肉とも誉め言葉とも取れない一言を吐く。 「あなた達……世間ではそれをバカップルっていうのよ」 「いいもんバカップルで。他の人にどう思われても気にしないもん！」 口を尖らせたまま、抱きついて離れない。はぁぁぁぁ、と露骨に嘆息するアイリーンの意図を掴むだけの余裕はなかった。 「本当に幸せなのね。でも、そんなことしていいのはここだけよ？」 クスクスしながら、刺す釘は刺される。クリステラソングスクールは清楚な校風で通しているから、こんなみっともない噂は拡散させてはいけない。 フィアッセはペロリと舌を出すと、またスキンシップに没頭した。 陽が西に大きく傾いた頃、終業を示す鐘がなった。これから学食は忙しくなるだろう。 「恭也はこっちね。今日はわたしの料理をたくさん食べていってもらうんだから」 「ああ、ごちそうになるよ」 皆の食事が終る頃になって、新鮮な野菜と肉が運び込まれた。職権乱用ではない、ちゃんと自前で買っている……道具はまぁ、お借りすることとして。 しかも用意は四人分。最初からこうなるのは計算済みだった。 「厨房を自ら使う校長は流石に前代未聞だわね」 アイリーンが呆れきった調子で言う。そんなジト目にもめげずに、フィアッセはエプロンを羽織った。 手伝いのアイリーンを残して――彼女は盛大に抗議したが聞かなかった――、二人を静かになった食堂に通す。 かくして、久しぶりの大がかりな料理が始まった！ 「待っててね恭也、腕によりをかけて美味しいご飯作るから！」 *** 「しかし珍しいな、恭也。あんないたずらを思い付くなんて。才能の無駄遣いというか何というか」 「人間、気まぐれの一つや二つ起こしたくなるものさ」 入り口に警備を配置すると、コーヒーカップを片手に向かい合う。静かになった食堂には何人かの学生が残ってお喋りに興じていたが、それもすぐにいなくなった。 不思議な静寂が、恭也とエリスを包んでいた。近くには誰もいないのに、人がいた余韻だけが漂っている。 エリスに驚かれるのも無理はない。恭也がわざわざあんな行動に出たのは、曲がりなりにも意味があってのことだ。 ここのところ、仕事といえば翠屋のホールスタッフくらいのもの。フィアッセと付き合い始めたのを機に『裏』の仕事から足を洗ったのは、正解だったと確信している。 もうこっちで住みたいとの希望もさりげなく桃子に打診してみると、反応は悪くない。永住権を取りに行こうか真剣に悩むくらいだ。 ――と、そんな平和な日々にあると身体がなまる。 美由希もすっかり奥義を覚えて、自分の体力に合わせたコントロールを行えているし、今は美紗斗と『裏』の技術を磨いている。 仕事がなくなると、どんなに仮想的な修行をしても、現場にだけある独特の緊張感には敵わないものだ。 思ったより早く着いてしまったのも運命、ここはクリステラソングスクールを舞台に気配を悟られぬよう隠密行動する訓練を 「あたっ」 「神聖な学び舎をそんな目的で弄ぶんじゃない！」 途中まで説明したところで殴られた。とはいえ実際問題、久々だから驚かせたかったのと半々だったのだ。 この数ヵ月についての話題に花を咲かせていると、ラックに温かな食事を載せたフィアッセが笑顔満面で現れた。 「恭也、まさかとは思うけど浮気なんてしてないわよね？」 ニマニマ笑いながら話しかけてくるその様子に、本気で心配している雰囲気は微塵もない。隣の席をそっと空けると、恭也とエリス、フィアッセとアイリーンで向かい合った。 「これからの展開が透けて見えるわね」 「ああ、これでは賭けにもならん」 向かいで肩を竦める二人を横目に、恭也とフィアッセは微笑みあった。 「はい、あーん」 「あーん」 フィアッセがふーふー冷ましてくれたシチューを、ぱくりと頬張る。軽く芯が残っているが、それが却ってグズグズにならない歯応えを作っていた。 香りは……新鮮な食材を使っているだけはある。むしろそれだけではない。香辛料の類も、順番やタイミングをよく考えられている。 どこぞの妹が作った謎の炭化物に比べたら、人と天使くらい違うだろう。 「恭也ー、いつものクセ出ちゃってるよぉ？」 「あ、ああ、すまん。フィアッセの料理が美味くてつい、な」 かぁっと頬を染めるフィアッセ。そばで二人がひそひそ喋っている声が、全く聞こえていないようだった。 「日本に行った時、『恭也は好きな人には甘い』と聞いたが、まさかここまでとはな」 「ウソみたいね。あんなに堅物だったのに……」 こらこら聞こえてるぞ。もっとも、反論する手札が全くないので何も言うつもりはないのだが。 愛情フルスロットルのフィアッセに向き直して、また「あーん」を繰り返す。こっちから攻めていきたかったが、何だかオーラが凄くてそれもできなさそうだった。 「もう、恭也ったら、ソースがついてるよ♪ んっ……」 ぺろ。 「のわぁっ！？ フィ、フィアッセ、いくらなんでも反則だ！」 「えぇ、いいじゃない〜。減るものでもないでしょう？」 ほっぺたに舌を這われて、恭也はようやく我に帰った。エリスとアイリーンの方を見ると、微笑ましさと諦観がないまぜになった、複雑な顔をしていた。 何を言っても墓穴を掘りそうだったので、黙ったまま恋人のスプーンに身を委ねることにした。 「バカップルね」 「バカップルだな」 著しくひどい言われようだが、気にはならない。大切なのは、フィアッセがいかに幸せか、だ。そのためなら、何だって惜しくはない。 そっと左手が延びてきて、そっと握ってくる。恭也もそれを握り返すと、フィアッセは笑いながらまたシチューを救った。 「ごちそうさま」 「はい、お粗末様♪」 結局食べ終ったのは小一時間も経ってからだった。ソテーを切り分けるのに手を重ねながらだったり、いちゃいちゃとトークしながら食べていたらそれも当然だった。 エリスもアイリーンもとっくに食べ終って、二人でずっと話し込んでいた。 「やっと終ったか……」 「ごめんなさい、エリス。でも、久しぶりに恭也に会えたから、嬉しくって」 柔和な笑みを浮かべるフィアッセに、エリスは姿勢を直した。この仕草が「許してくれた」のを表す合図だということには、長い付き合いの二人なら容易く分かる。 時計を見ると、そろそろ入浴時間が迫っていた。学生達が出るのを待ってから、続いて入っていく。 流石に今回はフィアッセと一緒には入れなかった。アイリーンに泣きついていたようだが、結局彼女は首を縦に振ることはなかった。 *** フィアッセがパジャマ姿で恭也の元へと会いに行った時、彼はベッドの縁に腰掛けながら文庫本を読んでいた。中身は剣豪小説、相変わらず実年齢とは思えない趣味だ。 「今日はどうもありがとう。いつまで滞在できるの？」 「そうだな……一週間ってところだろう。のんびり観光でもしながら過ごすさ」 その一言で、しゅんとうなだれる。ずっと一緒にいられるわけではないのだ。校長としての職務もあるから、気を使ってくれたんだろうと思う。 ……そう、仕事にならないのは確かだ。いつもチラチラ恭也を見てしまうし、いつのまにか見とれていてお昼休みなんてこともあった。 シュンとしていると、恭也はそっと髪を掻き上げて、額にキスしてくれた。それだけでもう、頭の中は幸せモードで一杯になる。 「その代り、毎日フィアッセの料理を食いに戻ってくるよ。約束する。朝も昼も、夜もな」 「あっ……」 抱き締められた。大きくて力強い腕が、柔らかく丸くフィアッセの身体を包む。 すぐに抱き返して、愛する人の温もりに触れた。心の芯からぽかぽかしてきて、溢れる気持ちが止まらない。 「ね、恭也。わたしのこと、いつでも守ってくれるわよね？」 「ああ、もちろんだ」 上目使いでお願いしてみると、頼りになる返事が即答で帰ってくる。くすくす笑って恭也の手を引くと、パジャマの裾をなびかせてベッドへと誘った。 「じゃ、夜の護衛もお願いしようかしら♪」 翌日、二人揃って朝から晩まで廊下に立たされていた。 罪状は主に器物損壊、特にベッドシーツとスプリングだった。 |