夜の空を飛ぶ――
光の翼を広げ、ふわりふわり。
長い髪を揺らし、ふらりふらり。

一際高いビルに降り立つ。
鳥が枝先に止まるように、ふわりふわり。


これほど高くまで昇っても、夜の空はまだ遠く、輝く星はさらに遠い。
もっと高く、もっと高く――
それでも空はまだ遠い。
それでも星はまだ遠い。

離れた空を見上げる度、体が半分になったかのような錯覚に陥る。
この隙間を何で埋めればいいだろう。
あの人は埋めてくれるだろうか。
あの人は側にいてくれるだろうか。
もっと近くに、ずっと近くに――


確かなものがあればいいと願う。
揺るぎないものがあればいいと願う。
不安に心を揺らし、ふらりふらり。





人工の光に溢れる街は、夜の闇でさえ染めることはできない。
染めるのは人の心――


震える心で、愛を信じていた。

＜Triangle Heart Another Story＞
　夜に飛ぶ鳥は、星空を見て何を鳴く　（作：P209i）

耕介は走っていた。
汗は後から後から溢れ出し、服を濡らす。
真夏特有の湿度の高い空気は、塊となって身体にまとわりつく。
夜だと言うのに、街は茹だるように熱い。
靴底に感じるアスファルトにさえ冷たさはない。
それを叩きつけるように、走る。


春になれば一面を覆い尽くす桜並木は、当たり前だが花びら一つない。
いつもはにぎわっている公園も、風に揺れるブランコが寂しい音を奏でている。
灯りの落ちた家々――
商店街の閉じたシャッター――
待つ人もなく、立ちつくすバス停の時刻表――
どれもこれも、夜の世界はこんなにも孤独で溢れている。

孤独をたくさん集めたなら、一人ではなくなるだろうか。
埒のないその問いの答えは、ただ、寂しいだけだ。


駅側の通りに出る。
さっきまでの閑散とした雰囲気とは真逆の、夜の街がそこにあった。
人々の喧騒は、だが、耳から先には届かない。
返って焦燥を強めるだけ。

ネオンの光が足元を照らす。
しかし、心まで照らすには冷た過ぎる。
顔も知らない人々と、顔も見ずにすれ違い、ただひたすらに走った。





ひたすらに、一人の少女を求めて走った。
心と身体で、たった一人を求めて走った。





螺旋階段を回る。
回り回り、右も左もわからなくなる。
それでも立ち止まりはしない。
まるで時計の針を合わせるように、きっと最後に止まった場所で、大切な人に会えると信じて。

鉄製の踏板は甲高い音を鳴らし続ける。
息が切れ、汗が目に入り思わずよろける。
それでも立ち止まりはしない。
呼吸を整える時間さえ惜しんで、ひたすらに走った。


視界が抜けた先に、一面の星空があった。
人が指先よりも小さくしか見えないその場所に、空を遮るものなどありはしない。
しかし、どれほど高くても、そこは空ではない。
地上でもなく空でもない――そんな場所に、少女は星空を背にして立っていた。

少女は涙を溜めた瞳で、耕介を見た。
細く小さな身体を、自らの手で抱きしめる。
まるで、見えない何かから懸命に守るように。
そうして叫ぶ言葉は、拒絶を示す。

耕介は一歩、また一歩と足を進める。
少女はまた拒絶を唱える。
一歩と拒絶が繰り返し繰り返し、気がつけば二人は、触れ合える位置まで近づいていた。

手を伸ばし、耕介は少女の名を呼んだ。
その手に、頬に、唇に――少女に触れたかった。
確かな存在を感じたかった。
傷ついた涙を拭いたかった。


少女の肩が震える。
訴えるような瞳は、まつげまで涙に濡れ光っていた。
唇はぎこちなく動き、何かの形を作るが、声にならない。


耕介は何かを言った。
――何かを言った気がした。
伝えたいことはたくさんあって、でも伝えられることはあまりにも少なくて、ただ目の前の少女を抱きしめる。
折れそうな細い肩を、ただ抱きしめる。
きつく、きつく、折れそうなほど。

顔を見れば泣いてしまいそうだった。
見つめられれば泣いてしまいそうだった。
もう、この少女なしには生きられないと、細胞の一つ一つが悲鳴を上げていた。



少女は何かを言った。
胸に顔を埋めたままで、何かを言った。
涙に濡れたその声は、か細く篭るようで、わずか数十センチの距離さえも越えられない。
それでも、その音のない声は何かを伝えるだろう。

きっと、愛し合う者にだけわかる言葉で。










人工の光に溢れる街は、夜の闇でさえ染めることはできない。
染めるのは人の心――



無邪気に人を信じていた時は過ぎ、何かを得るために何かを捨てるようになる。
誰かを傷つけなければ自分を守れないこともある。
自分が傷つかなければ誰かを守れないこともある。

もがきながら、何かに必死で手を伸ばす。
何かに流されるように、いつしか手を離す。


それでも――震える心で、愛を信じていた。

―― fin ――

■あとがき

少女は知佳と言うことで、さらにストーリは自己補完で、よろしくお願いします（汗

無理やりセリフなしで押し通してみました。
何か無声映画みたいなワンシーンを書きたかったらしいです、玉砕。