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背景：部室棟

　７月２５日は瞬く間に訪れた。
　終業式が終ったあと、合宿までの数日間のうちは１日かけて２年間のブランクを調整しようと思っていたのだが、それは思ったようにはいかなかった。
　夏休みの初日、ずっと留守にしていた我が義父――牧村克己さんが帰ってきたのだ。
　ちょうど母の研究も一段落したらしく、実に４年ぶりに家族がひとつ屋根の下に揃った。
　奇跡である。
　浮かれた克己さんは、なんやかやイベントを企画した。
　２５日から合宿に行かねばならないことを告げると、寂しそうにしながらも、ならばそれまで家族で楽しもう、と精力的に動き回ったのだ。
　温泉に、ハイキングに、カラオケ大会……
　かなり、カラ回り気味ではあったが、まぁ、こういうのも悪くはない。
　で、今日はもう７月２５日。

和海 「ところで……」
あつみ 「はいな」
和海 「集合場所は部室前で間違いないんだよな」
あつみ 「うん」
和海 「そろそろ時間だと思うのだが……誰ひとり来ていないのはどういうわけだ？」
あつみ 「う～～ん、光画部時間は定められた時間に前後２時間の幅を取るってやつかな」
和海 「そんなルールは一般には存在しない」
あつみ 「おかしいね。ヨリとかはともかく、ちまきさんとかなんて時間には厳しそうなのに」
和海 「仕方ないな。電話してみるか……」

　携帯をぱちんとあける。

和海 「あれ？」

　電源が落ちている。
　いつ切ったのだろう。

あつみ 「どしたの？」
和海 「携帯の電源落としてた。いつ、切ったのかな、俺」
あつみ 「あー、あれじゃない？　昨日、『ハイキングの最中に携帯鳴らすのは無粋だ』って父さんに窘められて……」
和海 「あ、あー、あーー……」

　すると、半日くらい通話不能だったわけか。

和海 「まずったな。……不在着信はいってる。迫水先輩からだ。今朝、早くから」
あつみ 「和海、留守録使ってないんだっけ？」
和海 「めったに携帯使わないからな。のべつ幕無しに呼び出されるの嫌いだし」
あつみ 「昔から電話嫌いだったもんねー、和海」
和海 「便利なのは認めるがな。世の中には不便なほうがいいこともあるのだよ」
あつみ 「そういえば、和海と電話で話した記憶がない」
和海 「お前はいつも直接家に来てた――……あ」

　着信が入った。迫水先輩だ。

迫水 『あー、やっと繋がった』
和海 「すみません。切っていたみたいで」
迫水 『ううん、こっちこそ、急に予定変えちゃったから』
和海 「あ、やっぱり変更ですか。場所ですか、時間ですか」
迫水 『っていうかね、移動方法変えたの。もともとはバスで行く予定だったんだけど、車借りられてね。車があれば資機材なんか運ぶの楽だし』
和海 「車って……誰が運転するんですか？」
迫水 『あたし』
和海 「迫水先輩、免許持ってるんですか！」
迫水 『うん。あたし４月生まれだから。このあいだ無事免許取ったのよ』
『で、他の人たちには連絡とって、あちこちで拾っていったんだけど、貴方たちだけ連絡取れなくて』
和海 「すみませんでした。で、どうしましょう」
迫水 『いま部室棟よね。そこから真っ直ぐ、学内幹線道路に出てくれる？　センターホールのあたりにいてくれればいいわ』
和海 「分かりました」

　ぱちんと切る。

和海 「あつみ、予定が変わったそうだ。車で行くんだって」
あつみ 「おおー」

背景：センターホール前
　部室棟から並木道を通って区道に出る。これを２ブロックほど西へ向かえば学内幹線道路だ。
　ちょうどセンターホールの前に出る。


和海 「このへんで待ってろってことだけど……」
あつみ 「あ、和海、あれ」

　大型のワゴン車がすすと寄ってきた。
　窓から榊が顔を出している。

榊 「和海、待たせたなー」

　すでに、俺たち以外の全員が乗り込んでいる。８人乗りだから、俺とあつみで定員だ。

迫水 「ごめんねー。今朝になって従兄弟から借りられてね。急遽、予定変更」
和海 「いや、それにしても……運転、大丈夫なんですか？」
迫水 「あはは、大丈夫よ。免許取ったのはついこのあいだだけど、だいぶ乗り回したし」

　なるほど、ハンドルを握る姿もさまになっている。
　完璧超人だろうか、この人は。
　あいかわらずジャージ姿だが、また色が違う。いったい何着持っているのだろう。

榊 「定番なら、ジェットコースターもかくやって運転をして、乗員を半死半生にするところだが、その危険はないようだ」
「少し残念ではある。迫水先輩みたいなキャラは通常ならなにかしらド下手な分野があるものなんだが」
和海 「危険がないならなによりだ」

　そそくさと乗り込む。
　助手席に榊。後部座席に木ノ下先輩、坪内先輩、一川。中央座席に赤巻紙、あつみ、俺といった布陣。
　車はゆっくりと走行を再開し、徐々にスピードを上げていく。休日ゆえに学内道路も混んではいるが、そこそこ渋滞もなく流れている。

背景：走行中

榊 「ところで和海、姉妹で可愛い恰好するんじゃなかったのか？」
和海 「……ぐ」
あつみ 「あーー、安心して。和海なんかこれ１本で充分だから」

　ぴっ、とあつみがヘアピンを取り出した。
　またたくまに俺の髪をまとめあげて、ぴんとピンで止める。されるがままの俺。コンプレックスの現況である瞳があらわになる。

あつみ 「和海、細いし撫で肩だから、概ね問題なしだよね」
ちまき 「確かに、ボーイッシュな女の子で充分通用するわね……」
茜 「っていうか、それ以外に見えません。和海くん、性別偽ってませんか？」
「や、正真正銘男ですよ、和海は。幼馴染が言うんだから間違いないです。ちっちゃい頃は一緒にお風呂も入ったもんね～」
榊 「その時分なんか、あつみのほうが男子に見えたんじゃないのか？」
あつみ 「あはは、そうかも。ヨリ、あとで酷いよ」

　恥ずかしい話題をさらりと流してくれやがる。

香子 「……牧村くんとあつみさんって、義兄妹……なんですよね？？？　幼馴染って……」
あつみ 「あ、もともと幼馴染なんよ。幼馴染の親同士が再婚して義兄妹になったの」
香子 「はぁ……そうなんですか」
榊 「ホント、まんま萌え設定だよなぁ」
あつみ 「設定言うな」

　髪をがしがしと元に戻す。
　車内の話題も、いつしか他愛のないお喋りに移っていき、後ろの座席では部長の寝息も聞こえてきた。
　やがて、車は学区域を隔てる広い草原地帯を抜けていく。
　窓を薄く開くと、雨が降ったあとのような新緑の匂いが鼻腔をくすぐる。遠くで蝉の鳴き声がする。

和海 （悪くない……感じだな）

　合宿の初日の朝は、こんな感じで始まった。

背景：合宿所

管理人 「えーと、第２クイズ研究会さん８人……」
「２０７と３０１と３１３と５０２の４部屋ですね。じゃあ、代表者はこのノートに記名して下さい――これが鍵です」

　じゃらりと、４本の鍵が渡された。

管理人 「１階の調理室と食堂は自由に使えますので、自炊などはそこで。火には気をつけて下さいね」
「門限は２４：００になります」

　淡々と注意事項を説明する管理人。
　事務的に、愛想笑いのひとつも浮かべず、１００％お役所然とした最低限の仕事振りはいっそ清清しい。
　前髪をヘアピンで押さえ、目立たないよう縮こまっているこちらの努力が馬鹿のようだ。
　管理人はさっさと別の団体へと移り、こちらへの興味を完全に失った。
　俺は、長い廊下を歩きながら、さっさとヘアピンを抜いた。

和海 「……こっち、見もしませんでしたよ」
木ノ下 「うむ」
和海 「……生徒手帳で確認するんじゃなかったんですか」
木ノ下 「あっさり通れて良かったな」
あつみ 「あは、あはははは……」

　この行き場のない感情をいかにして収束させよう。

迫水 「じゃあ、初日だし、まずは海で自由時間ね」
木ノ下 「明日からはたっぷり合宿メニューを用意してあるから、今のうちに楽しんで欲しい」
榊 「うむ、クラブの合宿イベントたるもの、こうでなくては」
ちまき 「すぐ目の前が砂浜なのね。まるでプライベートビーチね」
あつみ 「更衣室は海岸にあるから、荷物置いたらすぐに行きましょー」

背景：部屋５０２

　とりあえず、あつみは３０１の赤巻紙と一川の部屋で準備をしている。
　よし、俺も準備完了。

榊 「和海、いこうぜ」
和海 「おう」

背景：青空
一瞬、ぱあっとホワイトアウトして
イベント絵：海全員集合
一瞬、ぱあっとホワイトアウトして
背景：海

榊 「………」
和海 「………」
榊 「……これだよ、なっ、和海！」
和海 「いち健全な男子として、素直に同意しておこう。いいもんだよな。女の子の水着姿は」
榊 「かじゅみぃ～～～、感動が足りないぞ。見ろ！　普段、見知った女の子達の非日常的立ち姿を！！」
和海 「あんまり、じろじろ見るもんじゃないぞ」
榊 「あ～～～、いいよなぁ。恥じらいで内股にしてるとこなんか、ぐっとくるよなぁ」

　涙まで流している。
　我が友人のこういうあけすけなところは実は嫌いではない。羨ましいくらいに。

あつみ 「和海～～♪」
ちまき 「遅いわね。男子のほうが着替えなんか早いでしょうに」
和海 「すまん、そこで榊としばし鑑賞していた」
あつみ 「なんよ、こそこそ見てるなんて潔くない」
ちまき 「そんなに面白いものでもないでしょうに……」
榊 「落ち着いてからでないと、みんなの前に出られないほど感動していたのだよ、察してくれたまえセニョリータ」
迫水 「変なリップサービスは止めて、気持ち悪い」
茜 「でも、一梅ちゃんなんかスタイルいいから、同性ながらついつい眺めまわしちゃうよー」
迫水 「やめてよ、茜」
香子 「ホント、みなさんスタイル良くて羨ましいです～～」
榊 「いやいや、一川さんも可愛いよー。 いや、うちの部は天国だなぁ」

　とりあえず、迫水先輩のジャージ以外の姿が貴重なのは、榊でなくとも認めよう。
　もしかしたら、ジャージで泳ぐんじゃないかと、本気で心配していたのだ。

榊 「さぁ、かじゅみ♪　一緒にぱらいそさ行くだ」
和海 「ひとりで行け」

背景：海
　さて、今年初めての海だ。存分に楽しもう。

　どこへ行く？

　………
　………………
　他のところにも行ってみようかな。

移動（西側）
＞もう少しここにいる
＞砂浜の東側へ行く
＞岩場の方へ行く

移動（東側）
＞砂浜の西側へ行く
＞もう少しここにいる
＞岩場の方へ行く

移動（岩場）
＞砂浜の西側へ行く
＞砂浜の東側へ行く
＞もう少しここにいる

背景：海

背景：海岸（荷物置き場）

背景：岩場

あつみ 茜３

あつみ 迫水

榊

茜３ 木ノ下

ちまき

茜３ 榊

遠泳

遠泳

茜２

迫水 ちまき２

香子 榊 迫水２

迫水２ ちまき２

ちまき 茜 茜２

榊 香子 ちまき２

島説明

茜 迫水 ちまき２ あつみ２

木ノ下 あつみ２ 茜２ 迫水 ちまき２

迫水２ 榊２

ちまき２ 茜２ 榊２ 迫水２ あつみ３

あつみ３

榊２ 茜４

あつみ３ 茜４ 香子

あつみ２ 茜４ 茜２ あつみ３ ちまき２

榊２ 茜４ 香子 ちまき２ 木ノ下 あつみ３

特に何もないようだ。

キャライベント：あつみ

あつみ 「和海～～～♪」
和海 「ごきげんだな」
あつみ 「これ、こないだ買った水着～～♪」
和海 「そうだな」
あつみ 「なにか感想をいえ」
和海 「ふむ……そうだな……」

　あらためて、じっくり見ると我が義妹の身体はかなり肉感的だ。 　女性らしい凹凸が顕著で、太っているというわけではないが、全体的にふくよかなイメージを与える。 　先日、デパートで見た水着は、その柔らかな身体を申し訳程度に包んで、なめらかな膨らみを際立たせている。
　もしかして、これは誉めなくてはいけない場面だろうか。

和海 「………」
あつみ 「………」
和海 「……………ふむ」
あつみ 「……早く。恥ずい」
和海 「すまん、うまい言葉が思いつかない」
あつみ 「えーー」
和海 「第一、あんまりじろじろ見るのはセクハラなんじゃないか？」
あつみ 「さりげなく見なさい。さりげなく」
和海 「難しいな」

　そのようなスキルは俺にはない。
　いや、前髪で目を隠しているのだから、普通に見ていても視線は気にならないかな。

ちまき 「サングラスの効果あり、ね。その髪」
和海 「便利だろ」
ちまき 「まぁ……貴方は榊くんとは違うようだから、別に見ても気にしないけど」
榊 「心外だな」
あつみ 「ヨリはいやらしさが態度にでまくりなんよ」
榊 「それが、漢！　というものなんじゃないでしょうか」
和海 「理性が働いているだけで、俺も中身は榊と一緒だぞ、たぶん」
ちまき 「その理性が大事でしょ」
榊 「くそ、みんな和海に一票か。帰国子女は違うな。えこ贔屓だ」
和海 「帰国子女関係ないだろう」

　しかし、海に来て、女の子の水着姿を誉めないのは、やはり失礼だよな……

選択肢：
＞誉める
＞誉めない

⇒誉める（あつみＰ）

和海 「あつみ」
あつみ 「なに？」
和海 「……やっぱ似合うよ、それ。うん、可愛い」
あつみ 「へ？　え、あ………」
「はぅあぁぁ……」

　らしくないくらい照れている。

ちまき 「時間差とはやるわね」
あつみ 「えへへへ……」
和海 「赤巻紙も似合う。髪の色にも合っていて」
ちまき 「………」
あつみ 「うん、やっぱり赤はちまきさんのソウルカラーなんだね」
ちまき 「……照れる、わね。やっぱり。お世辞と分かっていても」
和海 「言うほうだって恥ずかしい」
榊 「和海、俺の魅惑のビキニパンツも誉めてくれ」

⇒誉めない

和海 「あつみ」
あつみ 「なに？」
和海 「………」
あつみ 「………」
和海 「………やっぱり、なんでもない」
あつみ 「？」

　駄目だ。どうもこういうことには慣れてない。
　まぁ、いいか。あつみだし。

キャライベント：ちまき

ちまき 「はあい」
和海 「おう」
ちまき 「夏ね」
和海 「そうだな」
ちまき 「そして、海ね」
和海 「ああ」

　なんだか回りくどい。
　しかも、心なしかもじもじしている。なにが言いたいのだろう。

ちまき 「日本の夏に、海……といえば、スイカね」
和海 「唐突だな」
ちまき 「スイカ割りをやってみたい」
和海 「ほう」
ちまき 「一度やってみたかったの。スイカ割り」
和海 「意外だな」

　ふむ。スイカ割りといえば確かに海の定番だが、そう言われてみれば俺もやったことはない。

和海 「よし、やろう。確か来る途中に農学部の販売所があった」
ちまき 「ホント？」
和海 「ああ、ちょっと待ってろ」
ちまき 「ありがとう」

　赤巻紙は嬉しそうだ。
背景：海岸（荷物置き場）
　スイカはすぐに手に入った。なかなかに冷えている。
　近くにいた榊やあつみも集める。スイカ割りは無責任に助言をするギャラリーがいなくては始まらない。

和海 「よし、では赤巻紙、目隠しをしろ」
ちまき 「……ちまき」
和海 「はい？」
ちまき 「前から気になっていたの。赤巻紙って呼びにくいでしょ？　早口言葉みたいだし。だから、ちまきでいい」
和海 「あー、そうか。じゃあ、ちまき、目隠しをしろ」
ちまき 「わかった」

　タオルを使って目隠しをする。なんだか、水着の女の子が目隠しをしている姿っていうのは少し、インモラルだ。
　隣を見れば、榊は顔を上気させていまにも失神しそうだ。余計なことを言わないように注意しなくては。

あつみ 「公式ルールでは、初めにぐるぐる回すんだっけ？」
榊 「どれ、その役目はわたくしめが……」
和海 「止めろ榊。あつみ、頼む」
あつみ 「うん、いくよー」

　あつみがちまきの肩に手を当てて、ぐるぐる回した。ちまきはすでにふら付いている。

ちまき 「なかなか……きついわね。もう、方角が分からない」
和海 「さあ、スタートだ。……とりあえず、右だな」
ちまき 「こっち？」
あつみ 「あー、行き過ぎ。ちょっと戻って」
榊 「そこで、イナバウアー」
ちまき 「え？」
あつみ 「ヨリの声は無視して」

　ふらふらと、恐る恐る足を進める。砂の感触を確かめるようにじりじりと。
　しかし、こうして見ると、スイカ割りというのはかなり危険な遊戯だ。目隠しをした状態で歩き回る。周囲の情報に全幅の信頼を寄せて。
　彼女の耳には俺たちの声はどんなふうに聞こえているだろう。

あつみ 「そこから、もう１歩前へ……うん、そこそこ」
和海 「いいな、思いっきり振り下ろせ！」

　ちまきはすうっと棒を振りかぶった。
　剣道でいう上段の構え。左前足に力が入り、砂にめり込む。綺麗な構えだ。剣道もやっていたのだろうか。
　すたん！
　スイカに直撃した。

あつみ 「当たった！」
ちまき 「手ごたえはあったけど……これは……」
和海 「ちょっとずれたな」

　棒はスイカの真を左側にずれて当たった。まっぷたつとまではいかなかったが、２、１くらいの割合で綺麗に割れている。
　まぁ、成功といえるだろう。
　目隠しを取った赤巻紙――ちまきは、少し悔しそうな表情をしたが、ふうと息を吐くとにこりと笑った。
　スイカはみんなで食べた。美味かった。

キャライベント：迫水

迫水 「えっと、お野菜の足りないのは販売所で買い足して……」
和海 「忙しそうですね、迫水先輩」
迫水 「あ、和海くん」

　荷物置き場のところで、迫水先輩は運んできた荷物をひっくり返していた。
　大きな鉄板や、ドラム缶を半割りにしたものまである。

和海 「バーベキューの道具……ですか。どうしたんですか、これ」
迫水 「合宿所で借りられるのよ。頼んであったの。だから、野菜やお肉も持ってきたんだけど」
和海 「言ってくれれば、みんなで手分けしたのに……」
迫水 「まあ、初日は楽しんでもらおうと思ったから。明日からは自炊も手伝ってもらうからね」
和海 「今も手伝いますよ。切るの、これですか？」
迫水 「あ、ええと、じゃあ、これ、お願い」

　玉葱、ジャガイモなどが山と積まれている。
　すでに洗ってあるので、すたたんと順に切っていく。

和海 「ずいぶんありますね。これ、ひとりじゃ大変だったですよ」
迫水 「まあ、これくらいなら。でも、助かったわ。手際、いいわね」
和海 「毎日やってるもんで」
迫水 「そうなの？」
和海 「ちなみに、明日からの自炊ですが、あつみには期待しないように」
迫水 「あーー、なんか分かったわ」

　迫水先輩の手付きも慣れたものだ。危なげなく野菜を切っていく。
　身近に料理の出来る女子のいない環境で育った俺としては、ちょっと感動だ。

和海 「じゃあ、俺、炭熾します」
迫水 「わ、悪いわね」

　迫水先輩はなんだか、親切にされるのに慣れていないようで、見ていて面白い。
　いつも、なんでもそつなくこなしてしまう完璧超人に、意外な欠点を見つけたみたいだ。
　そういえば、彼女は頼られてばかりな気がする。

和海 「炭、ちょっとこっち側へ多めに置きますんで、焦げやすいものは避けて下さい」
迫水 「なるほど。主夫の知恵ね。じゃあ、ピーマンやキャベツはこっちへ」

　やがて、いいにおいに釣られて、皆が集まってきた。

榊 「いや、ビールが欲しくなるなぁ」
茜 「ダメですよー。ここは学園の敷地ですからね」

　学園じゃなきゃいいというわけでもないが。

キャライベント：木ノ下

　波打ち際に蜃気楼のようにぼやけた人影が見えた。いや、ゆらゆらと灼熱の太陽に照らされている様は、陽炎というべきか。
　やがて、像は形を固定し、はっきりとした男の姿になった。

和海 「なんだ、部長じゃないですか」
木ノ下 「………」

　このところ存在感が希薄になってきている我が部長――木ノ下サニーはぼうっと砂浜に立ち尽くしている。

木ノ下 「和海くん……」

　こちらを振り返らずに唐突に声を掛けてくる。
　心臓に悪い。

木ノ下 「夏の海の醍醐味のひとつ……『足払いの砂遊戯』を知っているかい」
和海 「はい？　いや、知らないです」

　聞いたことない。

木ノ下 「やってみせよう。こうして、波打ち際に立つんだ」
和海 「はい」
木ノ下 「そして、辛抱強く待つ」
和海 「………」
木ノ下 「やがて、足元に波がやってきて、足の裏の砂をすうっとさらっていくんだ」
和海 「……はあ」
木ノ下 「この感触……足の裏がくすぐったいような、まさに地に足が着かないような不思議な感覚が楽しめる」
和海 「……ははあ」
木ノ下 「これが、『足払いの砂遊戯』」

　子供の頃、よくやった。

木ノ下 「待てよ？　足の裏だけで、これほどの感覚を得られるのだから、全身でやったらもっと凄いのでは！？」
和海 「全身で」
木ノ下 「やってみよう」

　部長は、その場に仰向けになって寝転がった。
　目に見えてわくわくしているのが伺える。
　だが！　その時、ひときわ大きな波がやってきた！
　ざぱーーーん！！

和海 「うわっと」

　思いがけない大きな波に、体のバランスを崩してよろけてしまった。
　砂浜に尻餅をつく。

和海 「あ、ぶ、部長は？」

　そこに部長の姿はなかった。波にさらわれ、流木のように沖合いへ流されていく木ノ下部長。

和海 「わーーーーっっ！！」

　急いで回収する。

木ノ下 「怖かった。海はまだ未知なる危険に満ちているのだな」
和海 「もう少し考えて行動しましょうよ」

キャライベント：榊
背景：岩場

榊 「えー、海の岩場にはたくさんの生き物が生息しています。潮溜まりなどを覗いてみると思いがけない珍しい生き物を発見したりもします」
ちまき 「………」
榊 「岩にへばり付いている貝やフジツボなどを観察するときには手を傷つけやすいので、必ず軍手を着用するようにしましょう」
香子 「………」
榊 「また、岩場は滑りやすいので素足やサンダルは不可です。履きなれた運動靴や長靴にしましょう」
和海 「榊、そのくらいにしとけ。引率の先生じゃないんだから」

　普段、二次元に住んでいる我が友人だが、実は海洋生物オタクという別の顔も持っている。
　とくに、磯辺の小さな生き物にご執心で、中学時代にも何回か連れまわされた記憶がある。
　４年を経て、趣味はさらに深まっているようで、目が限定フィギュアを見るときみたいに輝いている。
　最初は、ちょっと興味をもった風だった一川に磯辺を案内するということだったのだが、いつのまにかみんな来ている。
　軍手や長靴は合宿所で借りられた。

香子 「榊くん、榊くん、カニ、カニがいるよ」
榊 「イワガニですね。あ、すばしっこいからまず捕まえるのは無理だと思いますよ」
迫水 「あたし、ウミウシを見てみたいんだけど」
榊 「ゴーグルを付けて、潮溜まりを覗いてみて下さい。さっき、いち個体いましたが……小さいので見つけにくいですよ」
ちまき 「どのくらいなの？」
榊 「だいたい、５～１０mmくらいですね。ヒメマダラウミウシだと思います」
あつみ 「ウミウシって、ナメクジみたいのでしょ」
迫水 「すっごいカラフルなのとかいるのよ。図鑑でしか知らないから……やっぱり見てみたいじゃない」
茜 「ＴＶで青いの見たことありますね」
榊 「アオウミウシですね。名前、そのまんま」

　大人気だ。
　いつもの変態性はどこへやら。実に好ましい好青年キャラになっている。完全に別人２８号。

和海 「榊……同じオタクでもこっちのほうが一般的に受け入れられやすいぞ」
榊 「まー、そうかもしれないがなー」
「俺にとっては二次元も潮溜まりもどっちも大事な趣味だ。オタクってのは気づいたらなってるもんだから、選べるものでもないんだよ」
和海 「そういうもんか」
榊 「お前だって、言うなればクイズオタクだろ」

　なるほど、言われてみればその通りかもしれない。
　なにより、人の趣味をどうこう言うのは下衆というものだ。反省せねば。

榊 「ほら、フジツボなんかもよく見ればいろんな形していて、面白いよなぁ」
和海 「フジツボは甲殻類なんだよな」
榊 「さて、問題だ、和海。フジツボが甲殻類と分類されるに至った生態とはなんだ？」
和海 「……たしか、ノープリウス幼生として孵化するからだよな」
榊 「さすがだな。専門外でもちゃんと答えられる。しかしな、クイズの答えとフィールドワークは違うぞー。いつも新しい発見がある」
和海 「そうだな。クイズ者として戒めていなければいけないことだ」
榊 「というわけで、和海も見てみろ、フジツボ。大丈夫。都市伝説みたいに体内で繁殖することはないから」

　見渡せば、坪内先輩がフナムシを嫌がっていたり、一川がカニばかり追い掛け回していたりと、みなそれぞれに楽しんでいるようだ。
　よし、では俺はヒトデでも採取しようか――

キャライベント：茜

　坪内先輩と一川が砂の城を作っている。なにやら、遠目からでもその形状が分かるくらい大きい。
　以前、迫水先輩が、彼女たちのやっていた手芸はクラフトではなくアートだ、と言っていたのを思い出す。

和海 「……なんというか……凄いですね」
香子 「あ、和海くん」
茜 「けっこう、砂が素直だからどんな形にでも出来るよー♪」

　ヨーロッパのお城にあるような円錐型の屋根が綺麗にできている。

茜 「うん、だいたいこんなもんかな」
香子 「いい感じですね」
和海 「完成ですか」
茜 「うん。フランスのシュノンソー城。ロワール地方の城のなかでも有名なほうですねー」
和海 「あー、『６人の奥方の城』か。なるほど」
茜 「――で、ですね」
香子 「やりますか」
茜 「シュノンソー城は、シェール川の上に建てられていますー」

　そう言うと、坪内先輩は城の前に大きな溝を掘った。
　ぐいぐいと溝を延ばしていく。やがて、溝は波打ち際に達する。

香子 「城はですねー、ロマンです」
茜 「豪奢な外観の内に、深い愛憎の歴史を秘めてますー」

　二人は、溝を掘り終わると、目をきらきらさせながら海のほうを見ている。
　と、ひときわ大きな波がやってきて、溝を伝って勢いよく流れてきた。

和海 「あ、ああ……」

　ざぱぱ～～～ん！

茜 「ああ！　なんということでしょう！！」
香子 「さしもの大建築も自然の猛威にはかなわないのですーー」
和海 「あーーー」

　だいなしだ。
　せっかく綺麗に作った城が、波の直撃を受けてべしゃべしゃに潰れてしまった。

和海 「もったいない」
茜 「これが、醍醐味というものです」
香子 「丹念に時間をかけて作り上げ、一瞬のうちに無に帰す……砂の城のサダメなのです」

　妙に晴れやかな顔をしている。
　そういうものか。
　そういうものなのか？
　まぁ、作った本人たちが満足しているんだから、そういうものなんだろう。
　よく分からないが。

キャライベント：香子

香子 「カニ～～」

　おや、一川だ。
　せわしなくちょろちょろ動き回っている。

香子 「こっちかな。カニー？」
和海 「どしたの？」
香子 「あ、和海くん。カニだよ、カニがいるよ」

　たいへん嬉しそうだ。

香子 「おっきぃの。こんな」

　手で丸く円を作る。かなり大きい。
　いや、そんな大きい蟹がこんなとこにいないだろう。

香子 「美味しそうだよねぇ……」
和海 「食うほうか！」
香子 「カニ好きー♪　あとエビも」
和海 「ははあ……」

　なにか違う一面を垣間見た。

キャライベント：茜２

茜 「やあ、やあ、我が同士、和海くん」
和海 「あ、坪内先輩」
茜 「ふたりで目隠し同盟をつくろう」
和海 「はい？」

　唐突だ。
　どうも、この先輩の感性はいまいち分からない。

茜 「両目隠しに片目隠し、あとあつみちゃんが不透明眼鏡ならトリオの完成だね♪」
和海 「そうなんですか？」
茜 「さらに眼帯少女とかいれば完璧なんだけど」
和海 「はぁ……」

　なにか榊と同じ匂いがする。気のせいか？

あつみ 「どしたの？」
茜 「あ、あつみちゃん」
「眼鏡、不透明にしない？」
あつみ 「は？」
茜 「瓶底みたいなの。 茜 ――って、あれ……あつみちゃん、眼鏡は？」
あつみ 「あ、海ですから、外してます」
和海 「あつみ、裸眼でもそこそこ見えるもんな」
あつみ 「うん」
茜 「視力いいんだ……じゃあ、瓶底は見果てぬ夢……」

　寂しそうだ。
　そっとしておこう。

キャライベント：迫水２

一梅 「～～♪」

　迫水先輩だ。
　足元をちろちろ見ながら歩き回っている。すっと座り込んで、貝殻を手に取った。

一梅 「んー……」

　耳に当てて、目を瞑った。

和海 「聞こえますか？」
一梅 「ん……そうね」

　ジャン・コクトーの詩に、『私の耳は　貝の殻　海の響きを懐かしむ』というのがある。
　貝殻を耳にあてると、潮騒の音が聞こえる。なんともロマンチックだ。
　実際には、内耳にある、聴覚を司る感覚器官『蝸牛』のなかで、
　リンパ液が揺れているや血流の音が、貝殻に反響して聞こえてくる、という説と、
　周辺の音の中から、貝殻に共鳴しやすい周波数成分が増幅したものだ、という説がある。
　まぁ、その両方なのかもしれない。

一梅 「こおおおぉ、って聞こえる」
和海 「そのまんまですね」
一梅 「あはは、あたしポエマーじゃないし」
「和海くんにはどう聞こえる？」
和海 「そうですね……」

　手渡された貝殻を耳に当てる。

和海 「やっぱ、こおおおぉ、ですかね」
一梅 「だよねー」
和海 「でも、潮騒の音もこんなもんかもしれません」
一梅 「む、なるほど」

　波の音がロマンチックと感じるのは、海にロマンを感じるからだ。
　音そのものがロマンチックなわけではなかろう。
　それでも、波の音や、小川のせせらぎは、ｆ分の１ゆらぎの音とか言って、ヒーリング音源の代表である。

一梅 「これ、けっこう綺麗よね」
和海 「お土産に持って帰ったらどうですか？」
一梅 「そ、ね、いつでも潮騒を楽しめるしね。癒し系音源集。あはは」
「もっとないかなー♪」

　楽しそうだ。
　なんというか、ちょっと可愛く見える。いいことだ。

キャライベント：榊２

榊 「海は広いな、大きいなー」
和海 「地表の70.6％をしめるからな」
榊 「贅沢だ……これほどの海を我が物に出来るとは……」
和海 「まー、他の倶楽部の連中もけっこう来てるから、そこそこ混んでるがな」
榊 「それでも、観光海岸とかの芋洗いに比べれば天国だろう！」

　 　実際、この海岸には人は多くはない。
　学園のプライベートビーチで、付近に合宿所以外の宿泊施設がないのが主因であろう。

榊 「……しかしな、和海」
「芋洗いにも、芋洗いの良さがあるってことも、否定できないんだな」
和海 「はあ」
榊 「芋洗い海岸の場合な、どこを見渡しても麗しき女の子がいるんだよ」
榊 「だから、全ては不可抗力で許されるのだ」

　なにが、許されるのだ。

榊 「だが、こう疎らだと言い訳がきかない……俺はそれがたまらなく悲しいのだ」
和海 「サングラスでも買ってこい、ただちに」
「むこうにビーチバレー部の連中とかいたぞ。心ゆくまで堪能するが良い」
榊 「おお！」

　 　砂浜を一心不乱に駆けていく我が友人。その背中は眩しくすらあった。
　男子チームだったがな。

キャライベント：ちまき２

ちまき 「……」

　赤髪の決闘少女が波打ち際でぱしゃぱしゃやっていた。

和海 「なんだ、泳がないのか？」
ちまき 「んーー、泳ぎはそう得意じゃないっていうか……」
「浮き輪が友達っていうか」
和海 「お前、器用なんだから、ちょっと練習すれば泳げるだろうに」
ちまき 「や、でも、弱点は残しておきたいし」

　変な奴だ。

ちまき 「ほら、こうやって腰までくらいのとこできゃあきゃあ、ってやるのもいいものよ」
和海 「きゃあきゃあ……言えるものなら言ってくれ。榊が喜ぶ」
ちまき 「言わない」

キャライベント：あつみ２

あつみ 「ばあっ！」
和海 「わ！」

　水の中から突然あつみが現れた。
　潜水状態から勢いよく出てきたらしく、ざばんと大きく波が立つ。

あつみ 「やほー♪」
和海 「脅かすな、あつみ」
あつみ 「やあ、やあ、海はいいねぇ～」

　 　髪がべったり顔に張り付いてお岩さんのようになっている。
　陽気なお岩さん。

あつみ 「ね、ね、７つの海ってどこだっけ」
和海 「はい？」
あつみ 「７つの海」
和海 「あー、えと、南太平洋、北太平洋、南大西洋、北大西洋、インド洋、北極海、南極海だな」
あつみ 「なんか、つまんないね。インチキっぽい」
和海 「大航海時代なんかは、南シナ海、ベンガル湾、アラビア海、ペルシア湾、紅海、地中海、大西洋だな」
あつみ 「そっちのほうがいいかな」
「日本なら、日本海とかオホーツク海だねー」
「瀬戸内海も入るかな」
和海 「太平洋、日本海、東シナ海、オホーツク海、まあ、瀬戸内海を入れても５つだな」
あつみ 「ん～～、玄界灘？」
「有明海とか。ムツゴロウに敬意を評して」
和海 「有明海は湾だろう」
あつみ 「ペルシャ湾入ってたじゃん」
和海 「あ、そうか」
あつみ 「あ、いいの思いついた」
和海 「なんだ？」
あつみ 「熱海♪」
和海 「おお、それはいいな」

　 　波間で暢気にたゆたう。
　平和はいいなぁ。頑張れ、海底少年まりーん、海の平和は任せた。

あつみ 「岸まで競争しよう」
和海 「クイズはなしな」

キャライベント：茜３


茜 「やっほう、和海くん」
和海 「……坪内先輩、凄いの持ってますね」

　坪内先輩が首から提げている小さな身体に似合わぬごつい玩具。
　派手な色合いが玩具っぽさを醸し出してはいるが、どう見ても子供の持つものではない。

茜 「へへへーー、とっときなんだよ～」
和海 「水鉄砲……ですよね」
茜 「ノンノン、ちっちっち……」
「『ウォーターガン』って言ってくれなくちゃあ」
和海 「ははあ……」

　得意そうだ。

榊 「坪内先輩――もしや、それは……」
茜 「ん？　榊くんは分かるのかな」
榊 「『くたあと』では？」
茜 「正解！」
「凄いね、榊くん、ただのヲタクではないね」

　 　なんだか、榊の表情に余裕がない。冷や汗まで流している。

和海 「なんだ？　『くたあと』って……」
榊 「……さすがの和海も知らないか」
「――機動隊が暴徒鎮圧用に開発した非殺傷兵器『水神くたあと』」
「結局、諸所の問題から正式採用はされなかった幻の装備のはずだが……なぜ、こんなところに……」

　 　嘘だろう？
　しかし、榊の顔つきはあくまで真剣だ。

茜 「榊くん？」
「試していいかなぁ……」
榊 「えええ！？」
「あの、ちょっと、それ、もし、それが本物なら、有効射程距離は２００ｍ―――」
茜 「や、これ、別に『くたあと』そのものじゃないし――」
榊 「そうですよね！」
「そうだよ、ははは。そんなわけないよな」
茜 「――圧力タンクとノズルをＨＣ（ハイカーボン）製に換装してるし、乱流ノイズを減らすために射出口の形状も――」
榊 「強化かよッ！！」

　 　あの榊がツッコミに廻っている……。坪内先輩、何者だ。

茜 「榊くん？」
榊 「――ッ！！」

　 　榊はびくりと身体を震わせると、勢いよく腹を曲げ大きく後ろに飛退いた。海老のようだ。
　そのまま、砂浜を転げるように走り去っていく。

和海 「おい、榊――」

　 　見れば当たりには誰もいない。
　いつのまにか、迫水先輩も、あつみ達もいなくなっている。

茜 「か、ず、み、くん？」
和海 「あ、あの、坪内先輩？」

　 　じゃり、と砂を擦る足音が聞こえる。逃げ場はどこにもない。

茜 「一緒に遊ぼう」

　にこりとした笑顔。――そして、ホラーホーンが聞こえた。

キャライベント：あつみ３


あつみ 「あう～～～～、助けて～～～」

　砂浜に情けない声が響いている。
　見れば、波打ち際から少し離れたところに大きな砂の山が盛られており、声はそこから聞こえてくる。

和海 「……なにをしている」
あつみ 「あ、和海」
「助けて、アンパ○マン」

　 　砂山の裾野にあつみの顔が突き出ていた。重いのか暑いのか、かなり汗を掻いている。

和海 「辛そうだな」
あつみ 「砂が熱いんだよ。もー、苦しいー」
和海 「して、なぜにこのようなことに？」
あつみ 「罰ゲームなんよー」
「みんなで棒倒ししてね。最下位だったのだ」
和海 「で、砂に埋められる刑か」
あつみ 「う～～、そう」
和海 「まあ、へんな形にされなかっただけいいじゃないか。首から下、ビーナスとか狸とか。男同士なら間違いなくやるぞ。その点、女の子は慈悲深い」
あつみ 「……よく見れ」
和海 「ん？」

　砂の山。
　少し離れて見てみる。山には多少デコボコがあって、足のほうには帯状の溝が――

和海 「――ああ」

　相撲取りだ。
　山ではなくて腹だったのだ。周囲の手足が小さかったので分からなかった。

和海 「なるほど、これは芸術的だ。思うに坪内先輩の作品かな」
あつみ 「当たり。う～～、恥ずかしいょぅ」
和海 「写真を撮っておきたくなるな」
あつみ 「それは、もう撮られた」
「ね、ということで助けて、和海」
和海 「いいのかな、罰ゲームなんだろ？」
あつみ 「第三者に助けられるのが駄目とはルールにはない」

　 　まあ、いいか。
　この麗しき肢体を壊してしまうのは気が引けるが、砂浜には俺たち以外の学生もたくさんいる。このまま放っておくのも不憫だ。

和海 「よし、助けてやろう」
あつみ 「恩にきる」

　 　大きな山をざくざくと崩す。
　しかし、凄い量だ。つくるのには大変な労力がかかったものと思われる。改めて元手芸部の実力を思い知る。

あつみ 「ひゃう」
和海 「ぅお？」
「なんだ、変な声だすな」
あつみ 「ご、ごめん」
あつみ 「あのさ、えと、もうちょい下のほうから掘ってくれないかな」
和海 「……了解した」

　掘る手がまずいところに触れたようだ。

和海 「よし、このへんならいいだろ」
あつみ 「………」

　 　ざくざくざく………

あつみ 「――ぁん」
和海 「……お前、わざとやってないか」
あつみ 「やってない、やってない！　不可抗力！！」
和海 「だいたい、こんだけ掘りゃあもう自力で出れないのか」
あつみ 「ん……どっかな、ん―――」

　 　まだ無理らしい。

あつみ 「ごめん」
和海 「ったく……」
茜 「ね、このへん掘ってみたらどうかな」
ちまき 「こっちがいいんじゃない？」
あつみ 「を？」

　 　いつのまにか、何人か戻ってきている。

あつみ 「ひゃひゃ、ひ、く、くすぐったい！！」
「あ、い、ゃめ……」
茜 「あつみちん、罰ゲームは皆が戻ってくるまでだったよねー」
あつみ 「あ、でも、これは、ほら――」
「ぅひゃう！」
ちまき 「言い訳無用ね」
あつみ 「か、かずみ、たすけ……」
和海 「すまん、あつみ。俺は無力だ」

　 　こういう場面で男が手を出すとろくなことにならない。

和海 「では、俺はこれで」
茜 「またね、和海くん」
ちまき 「じゃ」
あつみ 「あうう～～～～～～、はくじょーものぉーーっ！！」

　 　さらば、あつみ。
　君の未来に幸多からんことを―――

キャライベント：茜４


　沖合いで波間をたゆたっていたら、ビーチマットに乗っかった坪内先輩が流れてきた。
　波に揺られて、ぼうっとしつつ、しばし、とりとめもない話題を交わす。

茜 「……クリオネっているじゃない」
和海 「流氷の天使ってやつですね」
茜 「そうそう。あれでも巻貝の一種なんだってね」
和海 「よく知ってますね」

　クイズ研としては頼もしい。
　珍しい生き物のネタはクイズに用いられやすく、過去のクイズ大会でも多く出題されている。
　クリオネやウミウシ、プラナリアなどは頻出問題といっていい。
　クリオネという名前は、学名「Clione limacina」の仮名読みから取ったもので、標準和名は「ハダカカメガイ」。
　確かに巻貝の一種だ。生まれたときは殻を持っているが成長とともに消失する。

茜 「一度、一梅ちゃんと一緒に、水族館であれを見たことがあるんだけど……」
和海 「あ、もしかして、捕食行動ですか」
茜 「そう！」

　クリオネは半透明の身体でふわふわと優雅に泳ぐが、その捕食時の様子はかなりえげつない。
　頭部がぱくんと割れて、バッカルコーンと呼ばれる六本の触手が伸び、餌を絡めとって食べるのだ。
　ＴＶでこの映像が紹介されたとき、恐怖を覚えた人も多いだろう。

和海 「泳いでる姿とのギャップが凄いですよね」
茜 「私は面白かったんだけど、一梅ちゃんなんか、気分悪くなっちゃって」
和海 「ははあ」

　なるほど、意外と繊細なのだな、迫水先輩。

一梅 「あたしがなんだって？」

　ざぶんと迫水先輩が現れた。

茜 「あ、一梅ちゃん」
「や、一梅ちゃんが繊細で可愛いって話をね」
一梅 「はい？」
茜 「ほら、一緒に水族館行ったことあったじゃない」
一梅 「あ、あの話……？　え、と、あれはね……」
一梅 「別にね、違うのよ、和海くん」

　なんだか、この二人の力関係が見えた。どうやら、当初の印象とは真逆のようだ。
　人間って、複雑だなあ。

必須イベント：遠泳

　浜辺から沖合いに島が見える。
　だいたい、距離にして１ｋｍくらいだろうか。
　そこかしこに人工物が見えるが、人が住んでいるような島には見えない。いわゆる、沖合いの無人島といった感じである。

和海 「手前に見えるのは……砂浜だな」

　ちょっと行ってみたくなった。
　遠泳はあまりやったことはないが、このくらいの距離なら大丈夫だろう。

和海 「ちょっと、向こうの島まで行ってみる」
香子 「はい？」

　ちょうど、そこにいた一川に声を掛ける。
　遠出するのだから、一応、誰かに声を掛けておくのがマナーである。

和海 「砂浜も見えるし、面白そうだと思って」
香子 「あ、じゃあ、私も行ってみたい」
和海 「一川、けっこうあると思うけど、泳ぎ、大丈夫か？」
香子 「あの、水泳は得意なの。あんまし速くはないけど、長い距離泳ぐのは大丈夫」
和海 「へー」

　人は見掛けに寄らない。
　普段からあまり自信がありそうな発言はしない子だから、よほどなのだろう。

和海 「よし、じゃあ、一緒に行ってみよう」
あつみ 「あ、和海、あたしもいいかな」
和海 「あつみも？　大丈夫か」
あつみ 「距離、どんくらいかな」
和海 「だいたい、１ｋｍくらいだと思う」
あつみ 「なら、大丈夫と思う」

　まぁ、足腰はたいした奴なんだし、大丈夫だろう。

和海 「よし、じゃあ、行こう」
香子 「うん」
あつみ 「あい」

背景：島
　ぱちゃぱちゃと、波打ち際から真っ直ぐに島に向かって走っていく。
　やがて、足が重くなり、腰のあたりに水が来たあたりで自然に身体は前に倒れた。
　すうっと平泳ぎで、水をかいていく。長距離を泳ぐのなら平泳ぎが最適だ。
　横を見るとやはり一川が平泳ぎで、すいすいと危なげなく泳いでいる。あつみの姿は見えないが、どうやらずっと先へ行っているらしい。

和海 （あつみは体力もあるからな……）

　５０ｍほど先にばちゃばちゃと水を叩く栗色の髪が見えた。自由形で軽快に泳いでいる。

和海 （まぁ、俺はゆっくり行こう）

　なんといっても、普段泳ぎなれているわけではない。過信は禁物だ。
　充分に体力を温存できるペースで泳ぐ。

和海 （思ったより、遠いな……１ｋｍと見積もったが、こりゃ２ｋｍ近くあるか……）

　ふと、前を泳ぐあつみのペースが鈍った。

和海 「？」

　様子がおかしい。
　頭が不規則に沈んだり浮かんだりしている。

香子 「……！」
和海 「………」

　並走していた一川とアイコンタクトを交わし、二人で急いであつみの元へ泳いでいく。

和海 「おい、あつみ！」
あつみ 「あ……」

　辛そうな顔が見えた。
　どうやら、ペース配分を間違えたのだろう。俺が「１ｋｍ」といったのが拙かったか。

和海 「すまん、２ｋｍ近かったな」
あつみ 「ん……ごめん。ちょっと、きびしかった、みたい……」

　もう、泳ぐ力がほとんど残っていないようだ。
　それでも、沈まないように足をかいて、体勢を維持している。

和海 「無理するな。ほら、こっち来て、後ろから首に手を回せ。いいか、しがみ付くなよ」
あつみ 「うう、面目ない……」

　あつみが負ぶさるように背中から手を回す。
　人間の身体は基本的に浮くように出来ている。推進力を補助してやれば、泳ぐ力がなくともなんとかなるだろう。
　立ち泳ぎの姿勢を保ちつつ、ゆっくりと身体を傾ける。首にあつみをぶら下げたまま、斜めに足を蹴って前に進んでいく。
　もう、すでに島までの行程の３分の２以上きている。戻るのは危険だ。このまま、島まで泳ぎきってしまおう。
　水難救助でもっとも危険なのは、水難者がパニックに陥って、救助者に抱きついてしまうケースだ。
　抱きつかれると、救助者も思うように体勢を維持できなくなり、二次災害に陥るおそれがある。
　あつみは、意識もしっかりしているし、そこそこは体力も残っているようなので心配ない。
　横を泳ぐ一川が心配そうにしているが、まぁ、大丈夫だ。

和海 （島までは……あと５００ｍくらいか）

　砂浜が見えてきた。
　もうしばらくすれば、浅瀬につくだろう。そこまでいければ安心だ。

背景：島海岸

和海 「ふーー、疲れた」

　島に着くなり、浜に大の字になって寝転がった。

あつみ 「ごめんねー。いけると思ったんだけど」
和海 「あ、いや、俺も悪かった。目測誤った」

　あつみも横でぐったりと寝転がっている。
　一川はその横で、とりあえず安堵した顔で、ぺたりと座り込んでいた。

香子 「帰りはどうしましょうか……」
和海 「そうだな。なにかビート板の代わりになるようなものでもあればいいんだが……」
あつみ 「うー、返す返すも面目ない……」

　砂浜にはよく見れば焚き火の跡なんかもあり、ぽつぽつ人が来ていることを伺わせる。
　無人島といえど何かあるかもしれない。

香子 「上のほうに何か見えますよ」

　一川が指した方角を見ると、山の上の緑の中に埋もれるように塔のような建物が見える。

和海 「展望台かなんかかな……ちょっと、行ってみるか」
香子 「はい」
和海 「あつみはここで休んでな。筋肉ほぐしたりして」
あつみ 「あい……」

　声に力がない。
　ま、あつみのことだ、すぐに元気になるだろう。

背景：山道

　砂浜の奥から山に入る遊歩道があった。
　長いことろくに手入れされていないようで、獣道と見紛うばかりの道だがどうやら山頂まで延びているようだ。

香子 「痛！」
和海 「え？」

　突如、ずっと黙って着いてきていた一川が声を上げた。

香子 「あ、ごめん」
和海 「どうした？」
香子 「草でちょっと切っちゃったみたい。たいしたことないよ、大丈夫」

　なるほど。雑草だらけの獣道に半裸の水着姿では危険であった。
　俺なら多少傷ついても唾でもつけておけば直るが、女の子はそういうわけにもいかないだろう。なにより女の子の足は男と材質が違う。

和海 「俺が見てくるよ。一川は海岸であつみと一緒にいてくれ」

　まだ、遊歩道に入って間もない。先を考えると一川には戻ってもらったほうがいい。

香子 「や、大丈夫だよ。このくらい」
和海 「草を甘く見るな。これから先、もっと鋭いのがあるかもしれないぞ」
香子 「それなら、和海くんだって危険だよ」
和海 「俺は皮膚が強い」
香子 「わ、私だって強いもん。たまたま切れただけだよ。こんなの唾付けとけば治るもん」

　意外に頑固だ。
　背もちぃちゃいし、子供と見間違えるくらいの童顔だし、どこか控えめなところがあったから本性が分からなかったが……
　まぁ、そこまで言うのなら無理に戻れというのも失礼だろう。

和海 「分かった。じゃあ、一緒に行こう」
香子 「うん」

　手直にあった木の枝を折る。

和海 「これで、草を避けながら歩こう」
香子 「う、うん」

　木の枝で手前の草をばしばしと薙ぎながら歩く。うまくいけば折れたり切れたりしてくれる。
　帰りのことも考えて、なるべく薙いだ草を踏みつけて歩きやすくしておく。
　滑りやすくなってしまう危険性はあるが、足元が見えないよりも安心だ。
　一川は、俺の歩いたあとを注意深く歩いてくる。
　なんだか、弟を持ったような気分になる。弟を連れて、山に冒険に行っているような錯覚。
　いや、失礼か。一川は女なんだから、せめて妹だな。
　４年前に、俺には義妹が出来たが、歳は同じだし、幼馴染だったしで、はっきり言って自覚はない。
　しかし、こうして同い年のクラスメートに妹を感じるというのも不思議なものだ。
　保護欲――というのともまた違う気がする。

背景：観測所

和海 「――『石生島観測所』か……」
香子 「気象観測所みたいだね」

　山の上にあった建物は気象観測所だった。
　カンブリア学園はとてつもなく広いため、構内の天候を地区ごとに予報している。そのための観測所は校内のいたるところに存在する。

和海 「無人観測所だな。あの塔から無線でデータを飛ばしているんだろう」
香子 「じゃあ、この遊歩道は巡視路なんだね」

　巡視路とは、機器のメンテナンスなどのために定期的に職員が利用する道だ。
　しかし、この道の状況を考えると、巡視対象としての優先順位はかなり低いようだ。おそらく、警告がでない限りここを巡視することなどないのだろう。

香子 「あ、でも、休憩所みたいのもあるよ」
和海 「本当だ。そりゃそうか。下からここまで結構あったもんな。休む場くらいないと」

　八畳くらいの小さなスペースに椅子が三つとテーブルがひとつあった。
　テーブルの中央には大きな水の入った灰皿。部屋の隅には空缶が転がっている。
『季節限定Ｐｏｏスイカ味』
　しばし缶を見つめる。そういえば、喉が渇いた。
　無人島に水道はないだろうし、生水を飲むのは危険だ。早く帰ってなにか飲みたい。

香子 「あ、ロッカーがあるよ」

　なるほど、壁には掃除用具などを入れるロッカーがふたつ並んでいる。

和海 「お、開くぞ」

　ひとつめのロッカーには案の定、箒やちりとりが入っていた。古ぼけているが、あまり使った形跡はない。
　もうひとつのロッカーには、小さなダンボール箱がいくつか入っていた。

和海 「お」
香子 「あ」

　二人同時に声を発した。
　風化したガムテープをはがすと、その中には救難用の黄色い浮き輪が綺麗に折りたたまれて入っていた。

背景：島海岸

和海 「というわけで、浮き輪を入手した」
あつみ 「ぶらぼー♪　凄い。川口探検隊」
香子 「これで安心ですね。あつみさん」
あつみ 「うん、ありがとうー、香子ちゃん」

背景：海岸
　帰りは浮き輪のおかげで、あつみも問題なく岸に着けた。
　泳ぎながら思った。
　喉が渇いている。
　ほんの数時間、泳いでいるだけなのに、どうして、こんなに喉が渇いているんだろう？

必須イベント：島説明

　道路沿いの自動販売機で飲み物を買って、一息ついた。
　砂浜を見下ろす形で海岸堤防の上に立ち、腰に手を当てて缶入りのお茶をこここと飲む。
　こうして見ると結構な人が来ている。観光海岸の芋洗いには比べるべくもないだろうが、なかなかの盛況ぶりだ。
　海の家がないのが不思議なくらい。

和海 「贅沢だよな～～」

　学園の土地でなかったら、絶対に観光開発されていただろう。
　これだけ良好な地所を、学生の野外活動の場としてのみ開放している学園側には頭が下がる。

背景：砂浜

あつみ 「……すぅ、すぅ……」
和海 「……」

　荷物置き場にしてあるパラソルの下に戻ってきたら、あつみが寝ていた。
　レジャーマットの上に仰向けに寝そべって、気持ち良さそうに寝息を立てている。

和海 （疲れたのかな。さっきので……）

　遠泳は思いのほか身体に負担が大きかったようだ。
　すぅすぅと定期的な寝息に応じて、胸が緩やかに上下している。

あつみ 「…………」
和海 「………」

　風で髪が揺れた。
　珠のような水滴が額から頬に落ちていく。
　なにげなく顔を眺める。
　４年前、アメリカに旅立ったときのあつみはこんな顔をしていただろうか。もっと前、小学生くらいのころのほうが鮮明に覚えている。
　両親の再婚――アメリカへの引越し――怒涛の１年間。あの頃のあつみの顔はなぜか思い出せない。

あつみ 「……和海」
和海 「……やっぱ、起きてたか」
あつみ 「あ、わかっちゃった？」

　目を閉じたまま、寝ぼけているかのように、ぼそぼそと喋る。

和海 「寝息が不自然だった」
あつみ 「そっかー……ちぇ、和海がなにか悪戯したら悲鳴を上げてやろうかと思ったのに」
和海 「悪戯などしない」
あつみ 「えーー、普通人が寝ていたらやるじゃん。鼻をつまんだり、額に『肉』って書いたり――」

　コイツの前では先に寝ないようにしなければならない。

和海 「今からでもやってやろうか」
あつみ 「もう遅いー」

　がばっと跳ね起きる。髪についた砂がぱらぱらと舞い落ちる。

和海 「……疲れたのか？」
あつみ 「んーー、や、さっき醜態晒しちゃったし、反省しながら身体を休めていたら、うとうとしちゃって。日差しが気持ちよかったし」
和海 「ま、無理はいかんな。己の力量を知ってこそだ」
あつみ 「もうちょっとだったんだけどなー。くそ。合宿中にリベンジしてやる」

　闘気を燃やしている。手に負えない。

木ノ下 「あの島へ行ったのかい？」
あつみ 「あ、部長」
和海 「さっき、一川と３人で」
木ノ下 「見た目より距離あったろう」
あつみ 「あー、そのとおりで。あたしは途中でリタイアでした」
木ノ下 「島の東側には船着場があるよ。こっちからボートで渡れるようになっている」
「ほら、これが地図」

　部長はカバンから地図を取り出した。Ａ３のコピー用紙にプリントされたものだ。

あつみ 「なんか、山道ぐちゃぐちゃしてるー」
和海 「あ、測候所がある。ここ行きました。 じゃあ、泳ぎ着いた砂浜はこのへんか……」
木ノ下 「島内のふたつの山に、それぞれ測候所と展望台があるんだ。それらを結んで林道が整備されている」
和海 「ハイキングコースって感じじゃないですね。特定の目的のためにつくられたみたいな……」
木ノ下 「おお、するどい」
「なにを隠そう、この島は昔、流刑地でね」
和海 「流刑地！？」

　なんだ、それ。
　ここは瀬戸内海の小島か。

木ノ下 「学園で素行不良の者達が流された場所だったのだ」
和海 「はぁ……」

　さすがマンモス学園、奥が深い。

木ノ下 「そんなわけで島内の林道もいまいち実用性に乏しくてな。 だが、それがいい」
「明日からは、この島でクイズをやる予定だ」
あつみ 「…………まさか……」
木ノ下 「あ、バラマキクイズは予定にないから安心したまえ」
あつみ 「そうですか」
木ノ下 「徳川埋蔵金クイズは予定しているが」
あつみ 「えええええッ！！！」
木ノ下 「ごめん、うそだ」

　だいたいなんだ、徳川埋蔵金クイズって。穴でも掘らされるのか。

木ノ下 「人のいない静かな島だからな。精神集中にはもってこいだよ。森林浴をしながら優雅にクイズというわけだ」

　まず間違いなくそれだけではないのだろうが、たしかに静かな無人島でクイズというのは良さそうだ。

木ノ下 「面白い所なのに、不便さからか人気がなくてね。今年もほとんど利用者がいないらしい」
　 「二ヶ月くらい前に巡視員が入ったのを最後に、誰も行っていないそうだから、いまごろ夏草が凄いかもな」
和海 「はい、凄かったです」

　草木は鬱蒼と茂り、鳥や虫の声のみが響いている。
　その、人気のない森―――
　暗闇の中、古い記憶を頼りに泥濘とした道を歩いていくと、やがて洞窟にたどり着く。
　じめじめと濡れた石灰岩。天井から滴り落ちる地下水の音が、耳障りなくらいに響いている。
　そう、ここは星の御殿。
　島の開拓者であった故牧村翁によってそのように名付けられた場所なのだ。
　ああ……聞こえる。聞こえる。
　冥府の底から湧き上がって来るやうな、低く、暗く、ながい声。
　あれは、なんといふ鳥の鳴き声であらうか。

あつみ 「そして、和海は洞窟の奥で、この世のものとも思えぬ恐ろしい光景を目にするのだ―――」
和海 「………なにものだ、お前」
あつみ 「無人島っていったら、やっぱり横溝だよねっ！」
和海 「いらん演出せんでいい」

背景：海夕方

背景：荷物置き場夕方

背景：岩場夕方

　ずいぶん１日が長かった気がする。
　それでも、過ぎてみればもう夕方だ。当たり前だが。
　そそくさと荷物をまとめて宿へと向かう。

背景：合宿所

ちまき 「あら？　どうしたのかしら……」
榊 「なんか、もめてるみたいだな」
香子 「ですね」

　先行した木ノ下先輩や迫水先輩が、合宿所の前で声を荒げている。
　相手は見たことない男たちが２人。

迫水 「……そちらの言い分は分かったけど、こっちだっていろいろ予定組んでるのよ」
灯 「それはお互い様だ」
管理人 「ごめんなさい、こんな手違い……」
木ノ下 「まあ、おきてしまったものは仕方がない」
前田 「そうだね、前向きに検討しなくてはね」

　内容を聞く限りはそう殺伐ともしていないが、なにか手違いが生じたようだ。
　白衣を着た女性がおろおろしていて痛々しい。昼間の人とは違うが管理人さんらしい。

和海 「どうしたんですか？」
迫水 「ああ、和海くん」
「実はね、明日からの合宿で無人島を使わせてもらうことになってたんだけど……」
和海 「ああ、あの向かいの島ですね」
迫水 「管理人さんの手違いでね、こちらのクラブとブッキングしちゃったの」
管理人 「ごめんなさい。帳簿が見当たらなかったんで、別のノートに書いていたら二重化しちゃってて……」

　ははあ、そういうことか。まぁ、珍しいことじゃない。

和海 「……それ、そんなに困ることなんですか？」
和海 「まさか、島をまるごと使うわけじゃないだろうし……小さいっていっても無人島ですよ。ふたつのクラブが入っても困るような広さじゃ……」
迫水 「うちは、ね。でも、こちらは丸ごと使えなきゃ困るそうなのよ」
木ノ下 「彼らは『サバイバルゲーム研究会』なんだ」
灯 「すまんな。少々強めのエアガンを使った本格的なサバ・ゲーを企画しているんでね。島全体を使って」
「一般人がいるところじゃ出来ないからね」
木ノ下 「――なんだそうだ」

　なるほど……

前田 「そうだ、こうしたらどうでしょう」
迫水 「なにか、いい案が？」
前田 「うちの部員が集まって本格的に始めるまではまだ間があるんですよ。二日ばかり」
「その間に、そちらとこちらで島を使ってゲームをやって、勝った方が残りの期間、島を使うことが出来る」
灯 「なるほど、負けても一応二日間は島を使えるんだから、まるきり損にはならないわけだな」
迫水 「ゲームっていっても……あたしたちはサバ・ゲーなんて出来ないわよ？」
前田 「や、や、もちろん、双方に有益なゲームにしますよ！」
「そうだな……そちらクイズ研究会なんでしょう。なら、うちのクラブの趣旨とまぜて、サバイバルクイズなんてどうですか」
木ノ下 「サバイバルクイズ……」
前田 「聞いたことあるんだけどな。山の中を歩き回りながらやるクイズがあるって……」
迫水 「――バラマキクイズか、モノリスクイズ……」
前田 「そう、それそれ。バラマキじゃ準備に手間がかかりすぎますから、モノリスクイズでどうです？」

　モノリスクイズ。
　無人島、密林、砂漠、どこでもいい、とにかく自然条件が過酷な場所で行われるクイズだ。
　昨今の派手なバラエティー番組のクイズではちょくちょく企画される。
　ルールはいささか複雑だ。
　このクイズで特徴的なのは、あらかじめクイズ問題が１００問程度用意され、それが固定地点に配置される点だろう。
　ばらまかれない、バラマキクイズのような感じだ。
　順をおって説明しよう。
　まず、チームからはそれぞれ二人が選出される。この二人は、『出題者』『解答者』の役割を受け持つ。
　地点もふたつ用意される。『解答場所』と、それから遠く離れたところに『クイズ設置場所』。
　『出題者』も『解答者』も、最初は『解答場所』にいる。
　スタート。
　『出題者』は、遠く離れた場所にある『クイズ設置場所』までいく。そこには、１００問ほどのクイズ問題が固定されている。
　この、クイズの設置を、モノリスに見立てて、モノリスクイズと呼ばれているのだ。
　『出題者』は、設置されているクイズを記憶して、『解答場所』まで戻る。
　ここで注意しなければいけないのは、必ず頭だけで覚えること。
　メモなどの使用は許されない。また、一字一句間違わず、確実に覚えなければならない。
　『解答場所』に戻った『出題者』は、『解答者』に対して、覚えてきた問題を告げる。
　ここで、審判により覚えてきた問題が、一字一句間違いないことを確認される。
　確認されたうえで、初めて『解答者』に問題解答の権利が与えられる。
　そして、問題に正答して、ようやく１ポイント獲得となるのだ。
　普通のクイズに、暗記力クイズと、遠隔地への往復という体力要素が加わって、非常に過酷なクイズを実現した。
　さらに、この遠隔地へのクイズ問題取得のための往復を、山、川、密林などにすることによって、サバイバル要素を加味している。
　ポイントも、４ポイント、５ポイントをクリア条件にすると、何回も往復することになる。
　とても１回の往復ではそれだけの問題数を覚えてこられないからだ。
　体力に自信のあるものは、確実に覚えられる数だけの問題を覚えて、何回も往復するのがいいだろう。
　暗記力に自信のあるものは、たくさんの問題を覚えて、少ない往復数ですませられるだろう。
　さらには、設置されるクイズのなかから、どれを覚えるかというのもポイントだ。
　当然、『解答者』が答えやすい問題を覚えてくるのが『出題者』の使命だ。より、深い絆が試される。
　複雑なルールのなかに、高い戦略性を内包する。なかなかに高度なクイズ形式だ。

ちまき 「モノリスクイズ……」
和海 「やったことあるのか？」
ちまき 「言ったでしょ。私は個人競技しかやったことないの」
和海 「あ、そうだったな」
ちまき 「でも、面白そうよね」

　どうやら、ルールは知っているらしい。すでに目が輝いている。

迫水 「……それなら……うちの合宿にもなるわね」
前田 「いいアイデアでしょう」

　実際、悪くないアイデアのようだ。
　しかし、どう考えても相手方が不利だ。サバイバルゲーム研究会といってもクイズには素人だろう。
　山道を走り回ることに長けている程度では、モノリスクイズはきつ過ぎる。

前田 「心配はご無用だよ、牧村和海くん」
和海 「―――っ……」

　一瞬、ぞくりとした。
　柔和な、整った顔立ちが歪んだような……

灯 「しかし、負けたら、ただここを諦めるってだけじゃ緊張感がないな」
前田 「そうですねー」

　なんだか、少し空気が変わった気がする。

前田 「こうしたらどうですか、負けたほうは部の看板を差し出す」
迫水 「なっ――！！」
木ノ下 「………」

　一気に、氷点下。なにを言い出す？　この男は……

前田 「洒落ですよ、洒落。ほら、道場破りみたいで緊張感があるじゃないですか」
「看板っていっても、それで活動停止にしようっていうんじゃない。夏休み期間中だけにしましょう」
木ノ下 「……うちは夏休み期間中に『学生クイズ選手権』に出場する予定がある。そんな賭けには乗れない」
前田 「――知ってますよ」
迫水 「……なんのつもり？」
前田 「だから、分からないかなぁ。ぼくはね、あんたたちを挑発してるんだよ」
「クイズ研究会なんだろう？　しかも、元からあった第１研究会から分離した第２研究会」
「ぼくらに負けるようじゃ、端からクイズ選手権に出場する資格なんかないんじゃないのかい？」

　表情はまったく変わっていないのに、言葉にどす黒いものが混じっている。
　なんだ？
　なんなんだ、こいつら。なにがしたいんだ。

前田 「ここで引いたら大生徒会長にも迷惑がかかるよ？」
迫水 「――ッ！」
前田 「大生徒会長芦尾銅山は、第２クイズ研究会を『クイズ選手権に出場する資格のある部』として、部への昇格を認めた」
「ここで、素人相手にクイズ勝負から逃げたなんて噂が広まったら、どうなるかな……」
木ノ下 「………なるほど……お前たち、副会長派か……」
前田 「さぁ？」

　なるほど、分かった。
　転校してきたばかりの俺でも噂を耳にするくらい、現在の大生徒会長と、大生徒会副会長の仲は悪い。
　とくに、副会長桜餅はことあるごとに芦尾会長のアラを探しているという。つまらない派閥戦争だ。

和海 「木ノ下先輩、こんな勝負、受けることない。素人相手にむきになったほうが恥だ」
木ノ下 「――いや、この勝負、受けよう」
前田 「そうこなくちゃ♪」
和海 「先輩！」
木ノ下 「和海くん……日本のクイズ事情には詳しくないと言っていたが、通り名は覚えていたよな。『帝都の鬼火』――彼がそうだ」
和海 「え…… あ、ああっ！？」

　目の前の男の顔をまじまじと見る。
前田 　そうだ、確かに『帝都の鬼火』だ。顔はよく知っていたのに、何故気づかなかったのだろう。
　戦ったことこそないが、アメリカのクイズ大会にもしばしば出場していた男。
　確か、名前は――

「前田前科だ。宜しく、『静寂の海』」

　全米選手権のときの通り名だ。

木ノ下 「おそらく……他のメンバーもクイズ素人などではないのだろう？」
前田 「分かっていて――受ける？」
木ノ下 「それだからこそだ。そうじゃないか？」
前田 「そうだね…… そうだよ、 そうだとも」
木ノ下 「詳細を決めよう」
「迫水は一緒に残ってくれ。他のものは、夕食の用意だ」

背景：合宿所食堂

　合宿といえば、カレーだ。
　定番とはいえ、手は抜かず。玉葱は真っ黒こげになるまで徹底的に炒める。
　このぎりぎりさがいいのだ。

ちまき 「……美味しい」
香子 「和海くん、料理上手い……」

　うちの女性陣は少しばかり危なっかしかったので、だいたい俺がひとりで作った。
　包丁を握れたのが一川のみ、というのも情けなくはないか。
　ちょうど、出来上がったころに部長と副部長が戻ってきて、食事をしながら報告となった。

迫水 「クイズはモノリスクイズ。ルールは……和海くんとちまきさんは知っているかしら？」
和海 「公式ルールは」
ちまき 「大丈夫です」
迫水 「茜と一川さんには、あとで詳しく教えるわね」
「とりあえず、簡単に概略だけ説明すると、ふたりでペアになって、ひとりが遠くから問題を覚えてくるの」
「で、覚えた内容が一字一句間違ってなければ、もうひとりが答える権利を持つ。答えられればポイント」

　本当に簡単だ。これで、わかるわけがない。

迫水 「今回は、ポイントは８ポイント先取で勝ちに決まったわ。それを１試合として３試合行われます」
榊 「３試合ってことは、６人必要か……」
迫水 「明日の午前中に１試合、午後に１試合、明後日の午前中に１試合、でお終い」

　木ノ下先輩が地図を出した。昼間に見せてもらったやつだ。

木ノ下 「この山の展望台がクイズ設置場所になる」
「解答場所はこの海岸に決まった。船着場から近いほうが便利だからな」
迫水 「海岸から展望台までは、基本的に遊歩道があるわ」
「でも、途中の森林部にショートカットできそうな場所があったり、 橋を渡らなきゃならない深い谷部があったり、 なかなかに複雑よ」
和海 「状況判断力が求められるわけですね」
木ノ下 「そのとおりだ」

　しばし、地形状況や、ルート選択のポイントなどが話し合われる。
　最短最良のルートが選定できれば良いのだが、明日の天候、地盤状況、走者の体力など不確定要素が多い。
　それらを鑑みると、ルートには一長一短があり、にわかに決めがたい。最終的には、走っている者の判断に委ねるしかないだろう。

ちまき 「それで、選手は？」
木ノ下 「悪いが、俺と迫水で決めさせてもらった」
「１試合目、
『出題者』迫水一梅、
『解答者』坪内茜」
「２試合目、
『出題者』赤巻紙ちまき、
『解答者』牧村和海」
「３試合目、
『出題者』牧村あつみ、
『解答者』榊頼家」

　モノリスクイズでは、出題者のほうの身体の負担が大きい。妥当な選択だ。
　また、出題者は、解答者の得意分野をよく知っているものが望ましい。その点で、迫水先輩の相方に坪内先輩を選んでいるのだろう。
　俺も是非に出題者の大役をまかせてもらいたいが、薬で発作を抑えている身では危険だ。

和海 「木ノ下部長は？」
迫水 「お互いの部長を審判にしようってことにされちゃってね。向うはサバ研部長の灯風前」
榊 「あいつはクイズ素人らしいですからね。上手いやり方だ」
迫水 「向うのメンバー表はこうよ」
「１試合目、
『出題者』炎一散塵、
『解答者』糸車ジョー」
「２試合目、
『出題者』藤山大噴火、
『解答者』此葉かぎり」
「３試合目、
『出題者』伽藍堂満、
『解答者』前田前科」

榊 「名前を聞いたことあるのは、『帝都の鬼火』くらいか……」
あつみ 「あたし、此葉さんって聞いたことあるかなぁ」

　おそらくは、全員玄人だ。
　しかし、前田以外はあまり表立った活動はしていないらしい。

木ノ下 「その前田にしてもデータはほとんどない」
迫水 「いろいろな大会に出ているわりにデータが整理できないでいる一人ね。得意なジャンルもよく分からないし」
茜 「そういうこともあるんだ～～」
迫水 「わざとそうしているとも見れるわね。解答が偏らないように調整していたり。なにかルール以外の制限を付けて答えていたり」
ちまき 「そういうつまらないことする人、ときどきいますよね」
和海 「何故、そこで俺を見る」
ちまき 「全米大会の予選でやってたじゃない」

　ううう。よく知ってやがる。
　しかし、前田もそういうタイプだとすると、かなり手ごわいと思われる。

迫水 「茜には細かいルール教えるわね。一川さんにも一応聞いておいてもらったほうがいいでしょう」
木ノ下 「そうだな」
迫水 「じゃあ、他の人は早めに寝て。明日は朝６：００起床！」

背景：部屋

あつみ 「なんか……変なことになっちゃったね」
和海 「でも、まぁ大会前の肩慣らしにはちょうどいい」
あつみ 「わ、強気」
和海 「木ノ下先輩もそのつもりだろ？」
あつみ 「あー、そうだねー。部長、人生やったもん勝ち、の人だし」
和海 「俺としては反対者が誰もいないのが不思議だな」
あつみ 「ここで反対するようなら、誰も第２研になんか来てないって」
和海 「それもそうか」
あつみ 「まー、それなりにはね、覚悟もしてたし。一応」

　そうだろう。
　迫水先輩も、榊もただ木ノ下先輩に誘われたから第２研に入ったというわけではないだろう。
　この、あつみも。
　それなりの修羅場を覚悟していたはずだ。
　大会になれば、こんなものではすまない。

和海 「よし、早く寝よう。明日は早いし」
あつみ 「う、うん」

　明日は、早めに起きて全員分の弁当を用意しなければならない。

和海 「じゃあ、電気消すぞ」
あつみ 「うい」

　パチン

背景：部屋暗

和海 「おやすみ」
あつみ 「おやすみー」
「………」
あつみ 「………………」
和海 「…………………………」
あつみ 「…………………………………」
「………………………あのさ、和海」
和海 「………………」
あつみ 「………も、寝た？」
和海 「………………」
あつみ 「………寝た、ね……」
和海 「………………」
あつみ 「……うん」
和海 「……」
あつみ 「………………寝よ………」

　日中になにがあっても――今、どういう状況でも――睡魔はひとしくやってくる。

背景：徐々に暗転

背景：合宿所食堂

和海 「ポテトサラダ、林檎入れてもいいですか？」
迫水 「いいんじゃない？　あたしは好きだけど」
和海 「や、おかずに果物入れるの反発するひともいるんで。酢豚にパイナップルとか」
迫水 「酸味とか歯応えとか美味しいと思うけどな」
「茜は大丈夫よ、確か」
和海 「あつみも大丈夫だから、いいか。榊はなんでも食べるし」
迫水 「平気、平気♪」

　朝食は一日の活力の源である。
　和食派の俺としてはまず塩鮭に味噌汁。鮭は弁当のオニギリの具にも転用できる。あと、昆布とかオカカも定番だ。
　オニギリだけでは寂しいので唐揚とかサラダなどオカズも用意し、そのまま朝食にもなる。
　お茶も煮出しておこう。

迫水 「……ホント、手際いいわね。すごく慣れてる」
和海 「まあ、ずっとやってますから。それより迫水先輩も上手いですよ。この肉ジャガなんてまさに、家庭料理って感じですね」
迫水 「あはは、男殺しっていうしねー、肉ジャガ」
「でも、ウチの味付け、ちょっとしょっぱくない？」
和海 「美味しいですよ。バッチリです」
迫水 「ウチは道場やっててねー。師範代とか門下生の一部は住み込みだったから、大家族なのよ。だから、小さい頃から母の手伝いを」
和海 「ははあ」

　今日の対戦では無人島を使う。
　昨日試したとおり泳いで渡れない距離ではないが、機材など運ばなければならないので、当然ボートを借りることになっている。
　一度、渡ってから何度も往復するのは非効率なので、当然お昼はお弁当だ。８人分用意しなければならないので、そこそこ大変。

迫水 「でも、助かったわ。正直、食事当番はひとりを覚悟してたし」

　食事当番は昨日の実績もあって、俺と迫水先輩の役割となった。
　他のメンバーは、朝食までの間、島への機材搬入の準備をしている。

和海 「ふたりいると、効率が違いますね。やっぱり、今度からあつみにも教えるべきかな」
迫水 「覚えといて損はないよね」
迫水 「あ、と、……熱ッ！」

　鍋の蓋をとろうとした先輩の手が跳ね上がる。古い鍋なので、取っ手のプラスチックが欠けて金属部分が出ていた。

和海 「大丈夫ですか」
迫水 「大丈夫、だいじょぶ。やっぱ、鍋掴み、なきゃダメね」
和海 「冷しといたほうがいいですよ。火傷はじわじわくるんですから。ほら」
迫水 「……」

　水道水でじゃばじゃば流す。
　右手の薬指か。
　とりあえず水脹れは出来ていない。赤くなっているだけだ。

和海 「大丈夫そうですけど、一応ハチミツ塗っておきましょう」

　ハチミツは殺菌作用が強く治癒力を高める。ハチミツを塗って包帯しておけば傷痕も残りにくい。

和海 「あとは俺がやりますから、ちょっと休んでいてください」
迫水 「……和海くん、お母さんみたい」
和海 「……あの、そりゃあ、ないです」

　苦笑する。
　さんざん、あつみに言われてきた台詞だが、他人に言われると恥ずかしい。

あつみ 「やほー、ご飯まだー？」
「……って、あれ？」

ちび絵：一梅火傷
　指に包帯を巻いているところに、皆が帰ってきた。

あつみ 「ど、どしたんですか？」
榊 「手に手を取り合って……新婚さんフラグ！？」
和海 「違う。お前の脳はどうなっているんだ」
茜 「一梅ちゃん、怪我？」
迫水 「あ、大丈夫、大丈夫、ちょっと赤くなっただけ」
香子 「火傷ですか？」
迫水 「ちょっと鍋で。いや、お恥ずかしい」
和海 「水脹れにもなってないし、すぐ治ると思う」
迫水 「さ、早くご飯食べましょ。お皿運ぶの手伝ってね」

背景：島


　朝食も終わり、皆で桟橋まで集まる。
　朝食前にあつみ達が運んでおいた機材が積まれている。
　サバ研の連中ももう来ていた。

灯 「おはよう」
木ノ下 「お早う御座います」

　さわやか……とは言いがたいが、それなりに挨拶を交わす。

灯 「紹介をしておいたほうがいいだろうね。私がサバイバル研究会部長の灯風前だ」
前田 「副部長の前田だ」
此葉 「此葉よ」
藤山 「藤山だ」
伽藍堂 「伽藍堂」
炎 「炎一散塵」
糸車 「ワタクシは糸車ジョーです。よろしく」

　順に自己紹介していく。一癖もふた癖もありそうな連中だ。

木ノ下 「僕は第２クイズ研究会部長の木ノ下だ」
迫水 「副部長の迫水です」
茜 「坪内です」
榊 「榊頼家」
あつみ 「牧村あつみです」
和海 「牧村和海だ」
ちまき 「赤巻紙ちまきよ」
香子 「一川香子です」

　表情は変わらないが、サバ研の連中はこちらの名前に反応していた。
　とくに、此葉という女の猫のような髪は体の器官であるかのようにぴくぴくと動く。

藤山 「さて、では、さっさと機材を運んでしまおう」

　大男の藤山が大きなダンボールをがしりと掴む。
　ボートは２艘しかないから、まず、荷受係を何人か島に渡し、何度か往復して荷物を運ぶ。
　ふと、人食い鬼とお坊さんのパズルを思い出す。
　鬼とお坊さんの川渡しをするのだが、お坊さんよりも鬼の数が多くなるとお坊さんは食べられてしまうというアレだ。
　まぁ、得体が知れないとはいえ、サバ研の連中を人食い鬼とは失礼だろうが、なんだかそんな気分だ。
　しかし、見ていろ。
　この対戦が終って笑っているのは俺たちだ。お前らみんな食ってやる。

背景：砂浜


木ノ下 「クイズは、ＱＱＲの分野別フィルタを使うことで宜しいか」
灯 「構わない」

　クイズは分野別に１００問用意される。
　分野は、科学、文学、歴史、地理、宗教、芸術、スポーツ、芸能、生活、漫画・ゲームの１０種類。
　それぞれ１０問ずつ携帯端末からランダムに選出され、携帯プリンターから打ち出されていく。
　木ノ下部長と、灯のふたりだけで問題を確認。

灯 「ＯＫだ」
木ノ下 「では、これはクリアファイルに入れて定点に設置する。定点に２部設置して、確認用には僕と貴方が１部ずつ持つ」
灯 「了解」
木ノ下 「さらには、クイズ設置定点には、監視カメラを設置する」
和海 「監視カメラ？」
木ノ下 「問題を書き写したりできないようにな。監視者がいるのが普通だが、今回は第三者がいないので仕方がない」
前田 「ま、妥当ですね」
ちまき 「でも、よくカメラなんてあったわね」
迫水 「偶然、高性能のムービーカメラを複数持っている人がいてね」
あつみ 「あー……」
榊 「先見の明のある行動であったと評価していただきたい」

　ちゃくちゃくと準備が進められていく。
　解答場所は、砂浜に設置された。パイプ椅子と折りたたみテーブルで、解答者席が作られる。
　公開番組とかではないのだから、解答者席などを設置するのは無駄のように思えるかもしれない。
　しかし、解答者や出題者の位置を固定することは不正を防ぐうえで重要だ。
　とくに、クイズ問題の審査者である木ノ下部長と灯風前は、少し離れた場所に席を用意する。
　万が一にもこの二人以外の人間に問題が漏洩するのを防ぐためだ。
　さらにはロープで区画が設けられ、待機者の立ち入り範囲も制限する。
　本格的だ。
　公正なクイズは、正しいルールのもとに行われる。
　サバ研の連中もテキパキと手伝っている。これだけを見ても彼らが素人じゃないことは明白だ。

和海 「……」
藤山 「……」
ちまき 「……」
此葉 「……」

　ほとんど会話はない。お互いに牽制しあっている。

榊 「最初は……『出題者』迫水先輩に『解答者』坪内先輩か」
「向こうは、『出題者』炎一散塵に『解答者』糸車ジョー」

　審査員席の後ろのホワイトボードに、名前が書かれる。ここに獲得ポイントも書かれていく。
　そうこうしているうちに、クイズを設置に行っていた木ノ下先輩と灯風前が戻ってきた。

木ノ下 「往復すると、普通に走って３０分くらいだな……」
「獲得ポイントは８点だから、平均的にみて２時間くらいでかたがつくだろう」

　１回の往復で２問ポイントすることを前提にした計算だ。一度に２問の問題を覚えるのはそんなに大変なことじゃない。
　しかし、解答者が誤答する可能性を考えると、３問、４問覚えたくなってくる。

迫水 「さて……これで準備は整ったわね」
「始めましょうか」
炎 「うむ」

榊 「じゃあ、用意…… スタート！」

　スタートの合図に陸上競技用のピストルが、ぱあんと鳴った。
　迫水先輩と炎がゆっくりと走り出す。

糸車 「ふっくっく……始まってしまった……」

　二人の姿が見えなくなると、解答者のマスク男が初めて口を開いた。

糸車 「相手の女性も……なかなか健脚のようだが……はてさて、どちらが速いかな」

　男は、口ひげをひょこひょこさせながら楽しそうに喋る。

糸車 「お嬢さん、彼女、名前は迫水一梅だったねえ。誕生日は分かるかな」
茜 「なんで、貴方に一梅ちゃんの誕生日を教えなければならないですか」
糸車 「いや、待っている間の余興にね、占いでもしようかとね。ホラ、時間はたっぷりあるし、退屈だろう」
茜 「……」
糸車 「いや、嫌ならいいんだが」
茜 「４月……１２日です」
糸車 「ありがとう。ホッホウ……おひつじ座ですね」

　手袋をはめた手で、カードを器用に操っている。恰好といい、言動といい、怪しすぎる。

前田 「糸車は、小手先の手品で相手を油断させ、集中力を根こそぎ奪う……。もはやあの女も奴の術中かな」
藤山 「……くだらん」
前田 「効果のほどは分からんがね」

　確かにクイズにおいて集中力は極めて重要だ。
　だが、俺の見る限り、坪内先輩の集中力はまったく欠いていない。髪の隙間から覗いている瞳が、挑戦的なまでに燃えている。

糸車 「我らが炎君は確か、５月生まれのふたご座」
「炎は火の属性……木を燃やし、金属を溶かす。対するは……女」

　ぱらぱらとカードが手の中から消えては現れる。
　使っているのはタロットカードのようだ。吊られた男、死神、運命の車輪――

茜 「……」
糸車 「ホッホウ、ああ、これは残念だ」
茜 「……」
糸車 「この勝負、君たちの勝つ確率は――」
「ゼロ」

　ぺらりとカードをめくる。
　旅人らしき男と犬の描かれたカードが開かれる。タロットの大アルカナ――愚者のカードだ。カード番号は、「０」。
　さらに、それがぱらりと落ちたのをきっかけに、他のカードがばらばらと宙に舞った。
　さきほどまで、いろいろなカードが現れていたのに、全てのカードが愚者のカードに変わっている。

茜 「つまらない手品ですね」
糸車 「くっくっく……手品の歴史は古代エジプトまで遡る。この芸術を理解できないかね」
茜 「手品――とくにその手先の技に関してはその歴史と技術に敬意を表します。でも――……」

　ふと後ろ髪を漉くような仕草をする。

茜 「――カードが足りなくては正確な占いにならないのではないですか？」
糸車 「な――ッ！！」

　坪内先輩の手に、一枚のカードが握られていた。
　王冠を被った女性が玉座に座っている。女帝のカード。

糸車 「き、キサマ……」
茜 「手先が器用なのは手品師だけではないですよ？」

　手芸――。手の芸術といえば、それこそ読んで字の如し。手品に勝るとも劣らない。
　いったい、いつカードを掏り取ったのか。まったく分からなかった。
　これは、常人の目に止まらぬほどの手業の格闘技だ。指先の魔術師同士が互いに火花を散らしている。

糸車 「ふ、ふふふん、わ、我輩から１本取ったところで、貴様らの負けは確実なのだ！」

　さきほどまでの冷静さが嘘のように取り乱している。
　意外と、というか、見た目通りの小物のようだ。

糸車 「このモノリスクイズを選んだ時点で貴様らは負けているのだよ」
「いかに、あの迫水一梅がクイズに長けていようと、炎を破ることは決して出来んだろうッ！」

　こめかみから一筋の汗を流し、歪んだ口からは唾が飛び散っている。

糸車 「なにしろ、彼こそは類まれなる身体能力を有し、他者を欺く技術に特化した歴史的隠密集団――」
「そう！　日本に現存する数少ない忍者の末裔なのだからな！！」
和海 「なに？」
茜 「一梅ちゃん……」

背景：山林


　スタート直後、雑木林に入ったとたんに相手の姿は見えなくなった。
　おそらく、斜面を駆け上がっていったのだ。よほど体力に自信があるのだろう。動きも敏捷だった。油断は出来ない。
　マラソンでもなんでも相手の姿が見えていれば安心する。
　序盤は、お互いに様子を見ながらいくと思っていたが、甘かった。

迫水 （焦っても仕方がない……別にこれはスポーツじゃない）

　まずは遊歩道を走破する。
　走りながら、ショートカット出来そうな箇所をチェックして、２往復目に備えよう。
　ろくに手入れがされていない遊歩道は、夏草が繁茂していて走りにくい。地盤が緩んでいる箇所もある。滑り落ちたら危険だ。

迫水 （……あの男）

　炎一散塵。
　背が高いせいか全体的に華奢に見えるが、並々ならぬ鍛え方をしてあることは容易に想像できた。
　実家が道場をやっているせいもあるだろう。人を見抜く眼力には自信がある。

迫水 （おそらく――簡単には勝てない）

　だが、それでいい。
　それでこそ、実戦になる。
　急造のチームに足りないものは、なんといっても実戦経験だ。ここでそれが補えれば、選手権前の合宿としては上々だ。

迫水 （とにかく、チームの士気のためにも……初戦は勝つ！）

　拳を握り締めた。

背景：クイズ設置箇所

　クイズの設置は展望台のところだった。
　展望台の柱に小さな看板が取り付けてあり、そこに問題文のクリアファイルが鎖で取り付けられている。
　少し離れたところに同じものがもうひとつ。
　もうすでに相手はクイズを覚えたあとだろうか。ファイルには泥がついていた。

迫水 （全部で１０ページ）

　パララとめくる。
　相方が茜なのだから、まずは悩む余地はない。
　「生活」だ。
　「生活」の問題は主に「料理」と「服飾」が含まれる。「料理」はともかく、「服飾」の問題ならば茜の得意分野だ。
　幸い、１０問の問題のうち半分は「服飾」系の問題だ。このうち、覚えやすそうなものを４つ頭に入れる。
　３つは確実に何度も反芻する。ひとつはダメモトで軽く読み下す。
　「服飾」の問題を全部とっても、８ポイントには足りないが、あとは「芸術」か「歴史」でどうにかなりそうだ。

迫水 （……よし）

　多くを望んではいけない。
　無理して数多く覚えると、結局どれひとつとして記憶に残らない。
　服飾系なら茜は確実に３問答えてくれるだろう。相方の力を正確に把握しているほど、このクイズは勝率を増す。
　茜にはブレはない。大丈夫だ。
　展望台をあとにする。

背景：砂浜


　モニターに、迫水先輩が現れて、消えた。

和海 「記憶時間は……炎と同じくらいか」

　対戦相手の炎は、ほんのちょっと前に展望台に現れた。
　迫水先輩と同じくらい――５分程度クイズを眺めて、森に消えた。

ちまき 「ここまでは普通――」
一川 「はい、なんか安心です」
糸車 「のはははは！　なにが安心なものかね！」
「君達にはこの緊張感がわからないかね。仮初の平和はすでに霧散しているのだよ！！」
茜 「――お前、うるさいです」

　坪内先輩がしゅるりと編棒を振るった。

糸車 「む、むぐぐ、ぐが」

　瞬く間に毛糸に絡め取られて身動きできなくなる糸車ジョー。
　手芸って、こんなんだったのか……。
　奥が深い。

伽藍堂 「でも、本当にこれからだよ」
「勝負は」

背景：森林


迫水 （そろそろ……来る）

　あれだけ殺気を放っていた男が、このまま自分を放っておくはずがない。
　往路は様子をみていたにしても、復路で必ず仕掛けてくる。
　得体の知れない緊張感があたりを包んでいる。木々のざわめきが耳に障る。
　ふと、鳥の声が止んだ――

迫水 「――ッ！！」

　横に跳ねる。
　なにか飛び道具のようなものが、今自分がいた地面に突き刺さっている。
　クナイ――鋼糸つきのクナイだ。
　ひゅん、と糸が引かれクナイが宙に踊る。

迫水 「あっ！」

　上空から突然飛び出した男の影が、クナイの舞う軌跡のなかに現れた。
　糸を回収し、木の葉を舞い散らせ、くるくると回転しながら実体化してくるその姿は、まさに大道芸人。
　高いところから飛び降りて、自己紹介でもしてくるか――と、思ったら、そのまま息も整わぬうちにこっちに向かって突進してくる。

迫水 「――くッ！！！」

　辛うじて避けた。
　だが、逃げてばかりでは埒があかない。

炎 「………」

　相手がルールを無視して襲ってくるならば、こっちも攻勢に出なければ勝ち目はない。

迫水 「す、はぁ、す、はぁ……」

　息を整える。
　相手の動きの寸分も見逃さぬよう、精神を研ぎ澄ませる。

炎 「はあッ！！」

　再び跳んだ。
　その動きに呼応して身体をするりと滑らせる。空気の流れに逆らわず、力の方向を変えてやる。

炎 「ふ、ふふッ……ふはははッ！」

　鳩尾に当身を入れた――と思ったが手ごたえがなかった。
　確かに手に当たった感触はあったが、その感触は瞬間的に消えていた。
　後ろに跳んだのではない。彼はむしろ前に来ている。引いているのは私のほうだ。馬鹿な。なにが起きている。

炎 「ふ、ふふッ……その動き、古流柔術か。しかも、スポーツ化した類のものではないな」
「――斑鳩流と見たがいかに」
迫水 「だから？」
炎 「我こそは、実戦忍術炎一塵流七代目――炎一散塵有朋。以後お見知りおき願おう」

　殺気はまったく失われていない。
　忍術――？

迫水 「……伝説のニンジャ様は、クイズの最中に対戦者を襲うような真似をするのかしら」
炎 「すまぬ。そなたの動きを見ていたらつい、な」
「武芸に秀でたものであることはすぐに分かった。しかも並々ならぬ実力とみた」
「それに、モノリスクイズでは、走行中のクイズ合戦は容認されていたはず」
「そして、クイズの世界には無差別格闘早乙女流に格闘クイズなるものが存在する……」

　あれは、クイズじゃないだろう、という突っ込みは置いておくにしても、今のは完全にレッドカードだ。
　対戦クイズは両者の合意のもと、フェアな条件で戦うものだ。

炎 「安心したまえ。ちゃんとクイズは行わせてもらう……」
「例えば……これだ！」

　炎の腕が激しく円を描く。
　その円に纏わり付くように周囲の木の葉が千切れ飛んでいく。

迫水 「これは……木の葉隠れ？」

　夏にやる技じゃない！！　普通は枯葉だろ！

炎 「ふっふっふ……枯葉と異なり、この季節にやるのは非常に難しい技なのだ」

　得意げだ。
　緑の葉に包まれて、彼の姿が徐々に消えていく。

迫水 （……本物だ）

　実戦忍術炎一塵流。
　その名は自分も聞いたことがあった。現代において、消え去りつつある武道の流派のひとつとして。
　そう、古流柔術斑鳩流と同じく。

炎 「斑鳩流の継承者なれば分かるであろう。この技がなにを意味しているのかを」

　木の葉隠れは、敵から逃げるときのみならず、敵を惑わして暗殺するときにも使われる技だ。
　実戦、そう、実戦以外では使われることはない。
　緑の渦に囲まれて、炎の姿は完全に消えうせた。

炎 「これはスポーツなどではない。ひとつ間違えば死に至る。武術とは本来そういうものなのだ」

　舞っていた木の葉がひらりひらりと落ちてくる。
　不気味な静寂があたりに立ち込める。そのなかに、炎の声だけが響いている。

炎 「『武術』が『武道』と名を変え幾世紀」
「武は心身を鍛え、礼節を重んじ、技を磨くことで人格の形成を志したひとつの技術体系として落ち着いた……」
「剣は竹刀に変わり、素手にグローブを嵌め、力人は狭い円の中で戦った」
「ルールのなかで戦うことにも大きな意味はあろう。 それはそれで受け継がれるべき美しい体系であろう」
「だが……だがッ！ 　武とはそれだけではない！！」

　汗がつうと流れる。
　びりびりとした殺気が、電気のように肌を刺す。
　この緊張感はどうだろう。少しでも動いたら空気が爆発しそうだ。

迫水 （……どこにいる……）

　視界の範囲にはいない。まったく気配がない。
　あのほんのわずかな間に、いったいどこに隠れたのか。

炎 「探しても無駄だ。我が実戦忍術は数百年の歴史をもつ暗殺技術。暗殺とは相手に見つかった時点で終わりなのだ」

　いけない。
　このままでは奴の術中だ。なんとかしなくては………
　そうだ。
　走ればいい。
　もともとクイズをする義理などないのだ。走ってこの場を去ればいい。

迫水 「――ぐッ！」

　動けない？！
　足が地に根を張ったように動かない。
　いや、足だけじゃない。身体がぴくりとも動かない。首から上は動くのに、身体は石膏像のように固く強張っている。

迫水 「な、にを……したの……」
炎 「すまんな。逃げられると無意味なのでな。封じさせてもらった」

　ふと足元に目を落とす。
　森林の木漏れ日からこぼれる太陽の光。足元につぶれたように形作る自分の影。
　その影の、心臓のあたりにさっきのクナイが刺さっている。

迫水 「影……しばり……」
炎 「失われつつある技術のひとつだ」

　ぎりぎりと胸が締め付けられる。
　かろうじて声が出せるのは、これがクイズ勝負だからか。

炎 「競技化された武道に道を奪われ、失われつつある真の武術……」
「貴様も古流柔術を学ぶ者ならば分かるであろう」
「武であり、美であり、賢である」
「だが、我々は見つけたのだ。この技術を絶やさずに伝え継ぐ新たなる道を」
「それこそがクイズだ。現代において、戦場に身を置くことのできるわずかな可能性なのだ」

　その言葉に濁りはない。
　純粋なのだ。この男は。

迫水 「………貴方……」

炎 「さぁ！　クイズだ！！」

炎の姿は見えない！　どうする？！
木の葉隠れクイズ：３問出題２問勝ち抜け

⇒誤答ＢＡＤ

炎 「ふ、く、くくく……我が覇業の糧となるがいい……」
迫水 「く………」

　この敗退は迫水一梅の集中力を根こそぎ奪った。
　当然、覚えてきたはずのクイズ問題もすべて忘却の彼方に消え去った。
　初戦敗退――そして、そのまま第２クイズ研究会はずるずるとサバイバル研究会に負け続けた。
　もう、誰も二度とクイズが出来ないほど打ちのめされた。
　そう、二度と……

ＢＡＤ・ＥＮＤ

⇒正答クリア

炎 「くッ………」

　なんのことはない。
　姿が見えなくても、出題が聞こえて、それに答えられればいいのだ。
　身体が動かないこともなんの関係もない。
『対戦クイズにおいては、相手の回答を妨げる行為はルール違反となる』
　この条項がある限り、肉体的束縛はなんの意味もなさない。

迫水 「忍術を活かそうとするのはいい……でも、これじゃ全く活かせてない」
炎 「ぐっ」
迫水 「形ばかり追っていても、なんの意味もない」
炎 「……そのとおりだ、女。いや、迫水一梅。すまぬ。貴様を見くびっていた」

　風が舞った。
　振動する空気に、木の葉が螺旋を描く。
　舞い落ちる緑のなかに、男は姿を現した。
炎
「もはや、出し惜しみはすまい」
「そう……我とて気づいていたのだ。忍術とクイズを結びつけるのは途轍もなく難しいとな……」
「それでも」
迫水 「………出し……惜しみ？」

　身体の呪縛が解けた。
　もう、いつでも逃げることは出来る。
　だが、迫水一梅は動かなかった。
　知りたかったのだ。この男がなにをしでかすのかを。

炎 「それでも、我は諦めることは出来なかった。クイズこそ、忍術を現代に活かす道とひたすらに信じた」

　炎は、大きな風船を掴むような仕草で、胸の前に手をかざす。

迫水 「………」

炎 「そして、我は見つけたのだ」
「ついに、希求する形を発見したのだ」

　空気が陽炎のように揺れる。
　錯覚だろうか。掌の内側に、小さな炎が見えた。

炎 「見よ……我が炎一塵流が秘伝――朧の奥義を応用せし、究極のクイズ技……」

　炎の体内の気が急激に集束していく。それに伴って宙に浮かぶ蒼い炎は、その大きさを増していく。
　ゆらゆらとした腕の動きは、空中に印を結び、幾重にも円を描いていく。

迫水 「こ、これは……！」
炎 「受けてみるがいい……我が、炎忍法『分身クイズ』ッ！！」

背景：砂浜


茜 「……」
和海 「……遅いな」

　さっきモニターから迫水先輩の姿が消えてから、４０分以上経っている。
　往路を１５分で到達したのだから、とっくに戻ってきていいはずだ。
　なにより、対戦者の炎も戻ってきていない。

前田 「……始まったようだな」
此葉 「どうなる……でしょうねぇ」

背景：森林

炎 「炎忍法『分身クイズ』ッ！！」
迫水 「な……ッ！」

　炎一散塵の身体がゆらりとぶれた。
　目の焦点が合わない。相手の姿が二重に重なって見える。
　――いや、これは重なっているのではない。
　いま彼が言ったではないか。彼は分身しているのだ。

迫水 「こんな……目眩まし……っ」

　炎は３人に増えた。
　３つの視線が射るように自分に集まってくる。

炎Ａ 「――さあ、これからが本番だ」
炎Ｂ 「――さあ、これからが本番だ」
炎Ｃ 「――さあ、これからが本番だ」

　不気味に声が重なる。

炎Ａ 「『分身クイズ』の恐ろしさ――」
炎Ｂ 「――とくと味わうがいい――」
炎Ｃ 「――迫水一梅よ！」

分身クイズだ！（チュートリアル）

炎Ａ 「かの有名な名探偵シャーロック・ホームズの兄、マイクロフト・ホームズの誕生年は？」
炎Ｂ 「地球の自転速度は赤道上で、時速約何ｋｍになるか？」
炎Ｃ 「ゲーム『逆転裁判』のシナリオ『蘇る逆転』の依頼人の名前は？」

迫水 「三人が問題を……！」
「ど、どの問題に答えればいいの？」

炎Ａ 「さあ、答えるのだ、迫水一梅！」
迫水 「ううっ」

　３問全て、答えは分かる。それぞれ、「１８４７年」「時速約１７００ｋｍ」「宝月巴」だ。
　ならば、順に全部に答えればいいのか？

迫水 「………『１８４７年』――」
炎 「くっくっく……外れだ」

　ぶわんと、また３人の炎の身体が揺れた。
　左右の二人の姿が消えていく……

炎 「答えは『時速約１７００ｋｍ』だ」
「くっくっく……分身のクイズに答えても正解にはならんぞ。分身は所詮偽者なのだからな」

　そういうことか。
　答えが分かっても、正答する確率は３分の１。あまりに分が悪い。

炎 「さあ、第２問だ」

　また、炎が分身していく。
　まずい……このままでは時間ばかり食っていく。集中力が乱れていく。

迫水 「確かに、これなら意味がある……」

　見事だ。心の中で賞賛を送る。
　この男、ただのハッタリ君ではなかった。
　本物の忍術を操り、それを見事にクイズと融合させた。もしかしたら、クイズ史に残るべき偉業かもしれない。
　だが、なればこそ……ここで倒さなくてはならない。

炎Ａ 「沖縄に施政権が返還されたのは何年か？」
炎Ｂ 「大日本帝国憲法に規定される国民の義務とは？」
炎Ｃ 「『春の海終日のたりのたりかな』は、誰の句か？」

　わからない。
　いや、クイズの答えは分かるのだが、どれが本物なのか分からない……！
　焦り。
　クイズ解答者にとって最も避けなくてはならない精神状態。焦りに支配されていく。
　身体の節々がぴりぴりと痛み出す。
　とくに、右手の薬指が――

迫水 （……指？）

　右手の薬指。
　今朝、火傷をしたところだ。さっきの格闘で包帯が解け、指があらわになっている。ほんのり、ハチミツの甘い香りがする。

迫水 （もしかして……）
炎 「くっくっく、早く答えるのだ」

　光明が見えた。
　もし――もしも、この偶然が運命を呼び寄せているとしたら――！
　神経が研ぎ澄まされていく。

迫水 「与謝蕪村」
炎 「――なにッ」
「せ、正解だと！？」

　炎がひとりに収束する。

炎 「ふん、偶然だ。確率は３分の１なのだからな。偶然、当たるのもあり得ることだ」
「だが！」

「偶然は何度も続かないッッ！！！」

大丈夫！　もう、見切った！！
分身クイズ：６問出題４問勝ち抜け

⇒誤答ＢＡＤ

炎 「ふ、く、くくく……やはりまぐれは何度も続かないようだな……」
「それとも、単にクイズ力がないのか」
迫水 「く………」

　この敗退は迫水一梅の集中力を根こそぎ奪った。
　当然、覚えてきたはずのクイズ問題もすべて忘却の彼方に消え去った。
　初戦敗退――そして、そのまま第２クイズ研究会はずるずるとサバイバル研究会に負け続けた。
　もう、誰も二度とクイズが出来ないほど打ちのめされた。
　そう、二度と……

ＢＡＤ・ＥＮＤ

⇒正答クリア

炎 「ば、馬鹿なぁッ！！！」
「何故だ！！　 どうして！？　 なにゆえにィィィイイイーーーーッ！！？」

　運命は味方していた。
　格闘戦で当身を食らわせたとき、右手薬指の包帯が解け、塗ってあったハチミツが彼の身体に付着していたのだ。
　それは、ほんのわずかな、本当にわずかな香り。本人にも気づかないほどの。

迫水 「ふふ……」

　いくら分身を精巧に作っても、自分で気づいていない香りまでは写せない。

迫水 「ハチミツってホント便利ね」
炎 「ぐが、ご、おああぁああああっっッ！！」
「負けぬ、負けぬ！　我は決して負けぬッッ！！」
迫水 「――え？！」

　ぐわんと殴り飛ばされたような衝撃が、身体を突き抜けた。
　蒼い、赤い、生き物のような炎が奔流のように炎の身体から湧き出てくる。
　龍だ。
　炎で出来た灼熱の龍神がぐねぐねとうねりながら、不気味に咆哮をあげている。

炎 「我が道に敗退はあらず！　這い上がる力があるうちは決して負けはせぬ！！」
「朧分身最終形態―――」
迫水 「あ、熱ッ！　あち、あっつッ！！」

　炎が千切れ飛ぶ。その数は数え切れないほどに。
　そして、次々と炎は人の姿へと変わっていく。

炎 「――これでも答えられるか、迫水一梅ッ！　千万無量１００人クイズッッ！！」
迫水 「わあーーっ！」

背景：光の放射
　ホワイトアウト

背景：砂浜


茜 「あ、一梅ちゃん、来た！」
ちまき 「どうやら、無事ひとやま乗り切ったみたいね。さすが先輩」

　よろよろとした足取りで彼女は現れた。
　トレードマークのジャージは泥だらけで、あちこち焦げ付いたように破けている。
　炎がまだ現れないところを見ると、なんらかの妨害工作があったにせよ、それは迫水先輩の勝ちで幕を閉じたようだが、かなりな苦戦であったらしい。

糸車 「くそ……あの似非忍者め。しくじったか」
木ノ下 「さあ、迫水くん、クイズ問題を」
迫水 「はい。茜、準備はいい？」
茜 「うん！」

　迫水先輩は砂浜にまるく書かれた出題者エリアで、背筋をぴんと延ばした。
　あいかわらず姿勢がいい。

迫水 「問題、『服地に使われる格子模様のうち、スコットランドの羊飼いが使った柄と言われているのは？』」
木ノ下 「ふむ……一字一句間違いない」
灯 「む……確認した。解答を許可する」

　審査員による出題のチェックが終る。これで、第一段階クリアだ。

木ノ下 「坪内さん、答えを」
茜 「簡単です！　答えは『シェパード・チェック』！」
灯 「ぐ、正解だ……」

　さすが、元手芸部。服飾系の問題には無敵だ。
　続けて、２問目、３問目も危なげなく答える。

あつみ 「さすがは先輩」
和海 「相当な妨害があったようだが……見事な記憶能力だ」

　たかだか数ｋｍの距離でも、ほかのことに気を取られれば容易に記憶は抜け落ちる。
　あれだけぼろぼろになりながら、しっかりと記憶を維持していたのは並大抵のことじゃない。

迫水 「じゃあ、次は……」
木ノ下 「まだ、覚えてきたのか？」
迫水 「少し自信ないんだけど……問題、『現代のブラジャーのような胸部を覆う下着で、古代ギリシャで使われていたものは？』」
木ノ下 「……」
灯 「……ふ」
木ノ下 「……惜しい」
灯 「そうだな、間違いだ」
「正確には、『現代のブラジャーのような胸部を覆う下着で、古代ギリシャで着用されていたものは？』だ」
迫水 「あ、『着用』だったのね。うう、まぁ、自信なかったし、仕方ないか」
茜 「一梅ちゃん、ファイト！」
迫水 「じゃあ、また行って来る」

　ちなみに、今の答えは「ゾナ」だ。
　おそらく、坪内先輩も答えが分かっていたと見えて、落胆を隠せない。
　これが、このモノリスクイズの怖さだ。たとえクイズの答えが分かっていても、問題文のささいな間違いで解答権を失う。
　しかし、一回の往復で３ポイント取得は上出来だ。

此葉 「ニンジャ君……戻ってこないわね」
前田 「ふ……まぁ、その程度だったってことかな」

背景：森林


迫水 「………」
炎 「………」
「……二往復目か」
迫水 「……貴方はまだ動けないようね」
炎 「１００人クイズは、体中の気を残らず使用する奥義だ。本来、玉砕覚悟の最終手段」
「あと、１時間は身動きひとつ出来ぬ」
迫水 「ご愁傷様」
炎 「しかし……貴様とて我と変わらぬはず。あれほどのクイズを答えて、なおかつモノリスクイズを続けられるとは……化物か？」

　炎の１００人クイズは凄まじかった。
　１００人の分身が入り乱れ、格闘を交えながら次々とクイズを繰り出してくる。
　分身を見分けられるとはいえ、それには極度の集中を有する。
　これほどの数を相手に、さらに格闘しながらでは体力のみならず、精神力の消耗は必至のはずだ。

迫水 「……もっと化物みたいな人もいるわよ」
「それに……今回、あたしたちは絶対に負けるわけにはいかないから」
炎 「……そうか」

　実際、体力は限界に近かった。
　だが、茜も素人なのにあれだけ頑張ってくれたのだ。自分が倒れるわけにはいかない。

炎 「……ひとりでは……ないのが、強さか……」

　炎は苦笑した。

迫水 「二往復目が終ったら人を呼んであげるわ」
炎 「……かたじけない」

背景：空
　空は青かった。
　迫水一梅の足音が遠ざかっていくのが聞こえた。
　冷たい石の上に横たわり、己が敗北をじくじくと味わった。

背景：森林
炎 「く、ふふ……くはははは」

　だが、この可笑しさはどうだろう。
　自分は力を出し切った。
　これ以上ない、最大限の、いままで味わったことのない試合だった。そして、それに完璧に負けた。
　――負けた。
　負けた。
　負けたのだ。

炎 「ふはははははっ」

　負けたのに、何故、それがこんなにも愉しいのか。
　世界は広い。
　我が忍術はまだまだだ。
　まだ、これから途方もなく成長するのだ。その巨大な壁がいままさに目の前に見えた。
　これこそ試練。
　実際のところ、自分が最も欲していたものだ。

伽藍堂 「……兄貴、気持ち悪いぜ」
炎 「あ？」

　首を動かすと、そこに小柄な少年が立っていた。

炎 「満か」
伽藍堂 「そう」
「負けたんだろ。その様子じゃ。手品師が毒づいていたぜー」
炎 「すまぬ。力が足りなかった」
伽藍堂 「ま、いいんじゃない。どうせ、こんなの遊びだし。肩、貸そうか？」

　当然だが、助けを借りるという行為は、事実上のリタイアである。

炎 「いや、リタイアはせん……回復するまで待つさ」
伽藍堂 「兄貴をここまで叩きのめすとはね」
「……第２研、悪くないね」

背景：砂浜


　炎はその後、終盤になってようやく姿を現した。
　迫水・坪内ペアが２回目を３ポイント取得して終え、３回目に出発してだいぶ経った頃だった。
　衰弱が激しかったが、一応、持ちかえった問題は覚えていた。
　もはや勝負は決していたが、炎は糸車に無理やり答えさせた。

糸車 「負けの決まっているクイズなど……」

　手品師は不満そうだったが、炎の気迫に圧倒され、しぶしぶ答えていた。

炎 「勝負は終るまで分からない。ぐずぐず言わずに答えろ」

　結局、得られたのは２ポイントで、クイズを終える頃には、対戦者である迫水一梅は帰ってきていた。　
　迫水・坪内ペアは３回目で残りの２ポイントを取得して、順調に８ポイントを先取した。
　８対２。
　午前の第１回戦は、第２クイズ研究会の圧倒的な勝利で終ったのだ。

背景：海

　空にぽっかりと綿菓子のような雲が浮かんでいる。
　夏の濃い青空に、小さな白い塊がふわふわと暢気に浮かんでいる。陸地ではむくむくとした積乱雲が、のっそりと身を乗り出している。
　耳を澄ませば、元気の良い掛け声がかすかに聞こえてくる。
　海を隔てた合宿所のグラウンドで、運動部の連中がトレーニングをしているのだ。
　練習試合をしているのか、ときおり歓声のような声があがったりしている。

和海 （………少し、風があるな……）

　このあたりは海を大きく抉った湾上の地形に加えて、西側にぽつぽつと小高い山が屹立しているため、風の変化が著しい。
　ぎらぎらとした日差しに温められた空気が、さあっと凪ぎ払われていく。

迫水 「気持ち良さそうね」
和海 「……眠ってしまいそうです」

　午後のクイズは１３時からだ。
　迫水先輩たちが最短時間で勝敗を決してくれたおかげで、昼食は充分余裕をもって摂れたし、こうして食休みも出来る。

迫水 「３０分程度の仮眠は脳の働きを活性化するとの研究報告もあるわよ」
和海 「素晴しい。一般企業も昼寝室を完備すべきだ」
ちまき 「ただし、このまま寝ると日射病になるから気をつけなさい」

　すっと日傘が開かれた。
　うしろから現れた人の影が大きく広がって、日差しを遮った。

和海 「おお、ちまき、用意いいな」
ちまき 「この白いフリルがポイントよ。日傘の日傘たるアイデンティティー」

　なんだか、よく分からないことを言っている。

ちまき 「体調は万全にね。まぁ、和海は解答者だから、そう身体に負担はないと思うけど」
和海 「そっちこそ大丈夫か。なにしろ相手はあの巨漢だぞ」

　第二試合の相手は、藤山大噴火と此葉かぎり。大噴火なんてふざけた名前の大入道が出題者だ。
　こちらの出題者は、赤巻紙ちまき。
　つまり、あの大男とちまきが、第一試合の迫水先輩と忍者のように、山中大決戦を繰り広げることになる。
　不安だ。
　ちまきは柔道とかもやっていたというから一般的な女子よりは、危機対処能力もあろうが、あの重戦車が相手では……。

迫水 「一応、あの忍者君はあからさまなルール違反はしなかったけど」
和海 「大噴火も同様とは限らない」
「なぁ、やはり、出題者と解答者、交代すべきじゃないかな」
迫水 「そうねえ……」

　対戦の組み合わせを決めたのは木ノ下部長と迫水先輩だ。

迫水 「二人の経験と、和海君の身体を慮っての配置なんだけど……」

　それには異存はない。
　感情的には、身体的な配慮をされることに憤りはあるが、プライドや根性で乗り切れるほどクイズは甘くない。
　しかし、それは第一試合の前までの意見だ。

和海 「第一試合での先輩の状態を考えると……ぎりぎりのラフプレイは覚悟したほうがいい。となると、奴の矢面にちまきを立たせるのは危険だ」
ちまき 「心配は有難いけど、相手がクイズであることを守っている限り、問題はないわよ」
和海 「守っている限り、な」
ちまき 「携帯も持ってるし、いざというときには助けも呼べるし。展望台には監視カメラもあるし」

　ちょっとむきになる。
　女であるというだけで心配されるのが嫌なんだろう。
　俺だって、ちまきが女であるというだけで心配するのは失礼だとも思っている。
　さらには、現実問題として、試合直前にオーダーを変更するのはルール違反だ。
　選手の変更は、その選手が試合に出られない確固とした理由がある場合のみ認められるものだ。
　気分でころころ変えられるものではない。
　しかし、しかしだ。
　あの、ひとり大相撲夏場所。
　素手で熊くらい殺せるタイプだ。どこぞの弁護士の助手をして「絶対殺ってるよ」と言わしめるくらいの迫力がある。
　あれでは、対戦相手がちまきでなくても、いや女でなくても、危険だと思うのは当たり前ではないか。

和海 「……とりあえず、スタンガン貸しておこう」
ちまき 「アンタ、なんでそんなもん持ってんのよ」
和海 「たしなみだ」

背景：砂浜

　もうすぐ１３時だ。第二試合が始まる。

榊 「おい、和海！」
香子 「和海くん！」
和海 「なんだ、どうした？」
榊 「やられたぜ……これを見ろ！」

　対戦表だ。
　第二試合の対戦者がホワイトボードに書き出されている。

　第二試合：
　サバイバル研究会：
　　出題者：藤山大噴火
　　解答者：此葉かぎり
　第２クイズ研究会：
　　出題者：牧村和海
　　解答者：赤巻紙ちまき

ちまき 「え？　なんで！　うちの出題者と解答者が逆じゃない！」
和海 「おおお？」

　おかしい？
　昨日は、確かに俺のほうが解答者だったはずだ。

灯 「どうしたのかな？」
迫水 「対戦表だけど……ウチの配置が逆になってるわ」
灯 「ほう」
前田 「いや、間違いなどではないですよ」
木ノ下 「そんなはずはない。昨日、僕は確かに出題者赤巻紙、解答者牧村と書いたはずだ」
前田 「いや、それは覚え違いですね。ほら」

　前田はＡ４の紙切れを取り出した。

前田 「昨日、書いて貰った用紙です。ほら、間違いなく貴方の筆跡でしょ？」
迫水 「――そんな……」
木ノ下 「………」
糸車 「ほっほっほ……なにか不審な点でもありますかな」

　手品師が不敵に笑った。
　そうか、そういうことか。昨日の時点ですでに用紙になにか細工をしていたのだ。
　おそらく、俺の持病の情報をすでに得ていたのだろう。

和海 「やってくれる――だが、ちょうどいい」
木ノ下 「和海くん」
和海 「対戦表がこうなってるんじゃ仕方ない。このまま受けましょう」
迫水 「でも、貴方、持病は……」
和海 「薬はあります。新陳代謝の状況で効果の持続時間は変わりますが……２時間程度は大丈夫です」
「３回……いや、２回で終らせればなんの問題もない」
ちまき 「……１回４問なら、２回でクリアね」
和海 「５問覚えてこよう」
茜 「５問……一梅ちゃんでも３、４問だったのに……」

　たしかに１回で５問覚えるのは苦しい。
　しかし、４問では万が一覚え損ねたり、解答者が答えられなかったりした場合、２回でクリア出来なくなる。

ちまき 「４問でいいわよ」
あつみ 「ちまきさん……」
ちまき 「和海は間違えないし、私も全問答える」
あつみ 「………」
和海 「いいですね、部長。このオーダーでいきます」
木ノ下 「止むを得まい……。公式ルールでも一度決まったオーダーを覆すのには相応の理由がいる。奴の手品を見抜けなかった僕のミスだ」

背景：海

　はからずも自分が思ったとおりのことが実現した。
　不謹慎と思いつつ、身体が震える。
　汚い手を使った奴らへの怒りと、自分が嘗められたことに対する悔しさが、体内を炎のように駆け巡る。

あつみ 「和海」
和海 「あつみ、俺は大丈夫――」
あつみ 「そうじゃない。まあ、落ち着け」
「ハーブキャンディーをあげよう。リラックス効果があるよ」

選択肢：
＞飴をもらう
＞そんなものいらない

⇒飴をもらう（あつみＰ）

　ころんと飴を手渡される。口に含むと、ハーブ特有のすうっとした揮発性の芳香が鼻に抜ける。
　……落ち着いた。
　いかん、いかん。思わず熱くなってしまった。
　冷静さを保つことこそ、あらゆるクイズに勝つための絶対条件だ。
　こんな吹き零れる寸前の鍋のような頭で、試合に勝てるわけがない。

あつみ 「ガンバレ」
和海 「おう」

　ガリっと飴を噛み砕いた。

⇒そんなものいらない

あつみ 「いいから、もらいなさい！」

　怒られた。

あつみ 「そんなにイライラしてて、クイズに勝てるの！？」
和海 「う………」

　いかん、あつみの言うとおりだ。
　ころんと飴を手渡される。口に含むと、ハーブ特有のすうっとした揮発性の芳香が鼻に抜ける。
　……落ち着いた。
　冷静さを保つことこそ、あらゆるクイズに勝つための絶対条件だ。
　こんな吹き零れる寸前の鍋のような頭で、試合に勝てるわけがない。

あつみ 「ガンバレ」
和海 「おう」

　ガリっと飴を噛み砕いた。

背景：砂浜

伽藍堂 「じゃあ、スタートだよー」

　砂浜に引かれた線の上に立つ。
　横では藤山大噴火の巨体が大きな影をつくっている。

大噴火 「……牧村和海」
和海 「なんだ？」
大噴火 「身体のほうは大丈夫なんだろうな」
和海 「……心配ない。さっき薬を飲んだ。２時間くらいは普通の人間と変わらない」
大噴火 「貴様の噂は聞いている。このような形でなく勝負をしたかったが……、止むを得ん。全力でいかせてもらう」
和海 「望むところだ」

　思わず笑みがこぼれた。

大噴火 「………」

　ぱあん！
　合図が鳴った。

大噴火 「ぐるはあああぁぁぁ！！」

　野獣の咆哮。
　全身に溜め込んでいたばねが一斉に弾け跳んだように、巨大な弾丸は砂浜から跳んだ。

和海 「………ふ、はははっ！」

　ぞくりとした。
　なんだ、あの弾丸列車は。
　いままで、体力に特化したクイズ者もずいぶん見たが、あれほどの逸材は見たことがない。
　いや、プロレスラーにだって、あんなのは滅多にいない。

ちまき 「和海！」
和海 「焦るな。いま、行くよ」

　走り出す。
　あんなのに、まともに戦って勝てるわけがない。
　だが、どうだろう。負ける気も、しない。

和海 「教えてやるよ、藤山大噴火」
「クイズの深さと、広さを、な」

　全身の細胞が泡だった。

背景：森林

　林道は、山の等高線をなでるようにゆるやかに外輪を回っている。ゆえに勾配はきつくはないが、距離がながい。

和海 （……まずは見通しの利く場所を探す）

　昨日、地図を見て確認したところでは、島の西側は起伏こそ激しいが、それほど複雑な沢はない。
　また、比較的砂浜に近いところに、ぽっこりと小高い小山があり、そこからなら展望台までのだいたいの道筋が望めそうだった。

和海 （ビンゴだ）

　高い木もなく、露出した大岩の上に立てば、かなり遠くまで見通せた。
　まずは、地の把握。
　約２年間、ＮＧＯに在籍していた間、自然環境の厳しい地でクイズをやってきた経験が今活きる。
　奴も、あのペースでずっと山道を登りきれるものではないだろう。
　スタートでのあれは相手を圧倒するための一種のパフォーマンスだと見ていた。

和海 （……ん？）
「な……なにっ！」

　砂浜から延びる林道に土ぼこりが激しく舞っていた。
　木々がざわめいている。大地の震動に、鳥や小動物が一目散に逃げていく。

和海 「信じられねえ。ペースがまったく落ちていない。それどころかますます速くなっている」

　あのへんは道幅も狭く、張り出した木を避けなければ通れないはずだが、大噴火はまったく気にも留めていない。
　一直線に、邪魔になる樹木を薙ぎ払いながら突っ走っている。堂々たる自然破壊だ。

和海 「凄いよ……お前」

　こうしちゃいられない。
　作戦を練り直す。
　俺が戦っているのは本物の化物だ。有史以来、人類が対峙してきた未知なる怪物なのだ。
　斜面の傾斜を計る。山の色を見る。空気の流れを脳内でシミュレートする。
　経験とそれに基づく分析。
　現状を把握し、逆らわず、恐れず。さすれば、道は自然と見えてくる。

和海 「これが俺のやり方だ、モンスター」

　次のチェックポイントへと急いだ。

背景：森林

　だいぶ離した。

大噴火 「はあッ！　はあッッ！！」

　筋肉がぎしぎしと音を立てる。
　久しぶりだ。
　リミッターを外した状態で戦おうと思ったのは。

大噴火 「『奴らにはその価値がある』、か」

　その言葉は昼に炎一散塵から聞いたものだった。
　この馬鹿げたゲームにおいて、自分も一目置いていた忍びの末裔。その男をしてそう言わしめた者達。

大噴火 「あの男……」

　前髪で顔を隠した優男。
　前田から聞いていた『静寂の海』の情報とはまったく一致しなかった。
　正直、噂とは当てにならぬものだと、落胆していたのだ。
　やはり、病気によるブランクが、一流のクイズ者を堕落させてしまったのだと。
　だが、どうだ。
　あの男は、この自分を前にして笑ったのだ。
　大抵の者は縮み上がり、勝負をする前に、勝負にならないことを教えてくれた、この藤山大噴火を前に！

大噴火 「ぐふッ、ぐふふふッ」

　笑いが込み上げる。
　容易には壊れない玩具が目の前にある。

大噴火 「せいぜい――楽しませてくれよ」

背景：林道

　山の西側の林道に出た。
　このあたりからは、山ひとつ越えた先の大きな沢部が見える。
　あのペースなら、大噴火はそろそろその沢部まで到着するころだ。
　行程的には、自分が通ってきた距離の約二倍。すでにそれだけの差を付けられたことになる。

和海 「……来た」

　計算どおりだ。
　やはり、あのペースのまま走り続けてきたのか。まったく信じがたい肉体だ。
　焦りは禁物とは言え、心の動揺を隠し切れない。

和海 （あの沢部は深い渓谷になっている。下まで降りるにせよ、橋まで迂回するにせよ、相当なロスタイムとなる。どちらを選ぶ？）

　それを見極めるためのチェックポイントだった。
　大噴火は、あたりをきょろきょろと見回している。

和海 「――ッ！！」

　驚愕すべき事態が起こった。
　大噴火は手近な木に体当たりを食らわせた。
　直径５０cmはあろうかという大木が、めきめきと音を立てて根元から倒れた。
　永い年月をかけて、しっかりと大地に根を下ろしていたはずの木が、大災害を前になすすべもなく屈した。
　どおんと、大地を揺るがす振動が静かな森林にこだました。
　そして、大噴火の前に、立派な橋が出現していた。

和海 「は、橋を作りやがった……」

　思えばいままでもそうだ。
　木々をなぎ倒し、草を分け、斜面を削りながら大噴火は爆走してきた。
　あたかもブルドーザーが道路を構築していくように……！
　そして、いま、奴は橋すら作り上げたのだ。

和海 「……建設重機いらないな」

　笑い事ではない。
　これで、また大噴火は自分との距離を開けた。山岳マラソンが勝負ならとても敵わない。

和海 「だが、これはクイズだ」

　空を仰いだ。
　ふわふわとしたわた雲が大きく広がり、長く線を作り始めていた。

背景：砂浜

香子 「和海君、まだ来ないね……」
ちまき 「………」

　展望台のモニターに藤山が現れてからずいぶん経っていた。
　スタートしてから１０分も経っていない。恐るべきスピードだ。
　だが、和海はまだ現れなかった。
　そろそろ２０分。

ちまき 「あ……」

　藤山大噴火が戻ってきた。
　午前中の迫水一梅の記録を大きく塗り替える速さ。

大噴火 「クイズだ……灯」
灯 「あ、ああ……」

　仲間である灯風前すら迫力に圧倒されている。

大噴火 「問題『英語で「死の天使」と呼ばれる毒キノコの日本名は？』」
灯 「……間違いない」
木ノ下 「ＯＫだ」
かぎり 「じゃあ、答えね。えっと、『毒ツルタケ』ね」

　正解だ。
　さらにもう２問。大噴火は澱みなく出題し、此葉が答えた。

ちまき （３ポイントＧＥＴ……）

　どうやら大噴火は４問目は覚えて来なかったようで、３問目が終るとすぐさま踵を返し、山に戻った。
　３問なら充分平均を上回る記憶能力だ。
　力やスピードに圧倒されてきたが、記憶能力も問題ない。この化物、クイズ士としての基本能力そのものが高い。

香子 「あ、和海くん、来たよ」

　モニターに和海が映った。
　なにやら、あちこち汚れている。

ちまき 「ふっ……」

　やきもきさせる。
　モニターに映る和海の様子からして、彼はまだ勝負を投げていない。
　この往路が普通よりも遅かったのは、彼がなにがしかの策を弄していた証拠だ。
　大噴火のような激しさはないが、牧村和海という男もまた恐るべきクイズ士なのだ。案ずることはない。

ちまき （それにしても……少し涼しくなってきたわね）

　天気が崩れ始めている。
　雲が平べったく波状に広がってきている。

ちまき （雨がくるかもしれない）

　おそらく和海も気づいているだろう。
　それが、この戦局にいかに作用するだろうか。

背景：展望台

　少し往路に手間取った。
　予想よりも天気の移り変わりが早い。復路は多少急いだほうが良さそうだ。

和海 （ちまきは４問でいいと言ったが、ここはやはり５問覚える）

　赤巻紙ちまきはクイズに関してはオールマイティだ。
　分野によりブレも少なく、ほとんどの分野で並以上の成績をあげる。
　そのことは、いま覚えるべき問題を彼女の都合で選ばなくて良いことを示す。
　自分の覚えやすい問題を覚えられるのだ。この効果は大きい。

和海 （復路はもつだろうが……二往復目は雨になる可能性が高い）

　もう、だいぶ空に雲が密度を増してきている。
　上昇気流にのった積乱雲が大きく覆いかぶさり、空の広い範囲に広がりつつあった。
　ここは海と山に挟まれた海岸線。陸で熱せられた暖かい空気と、海の冷たい空気が流動する場所だ。
　狭い範囲で目まぐるしく天気が変動する。

和海 （幸い、途中に小さな廃屋があった）

　おそらく、山小屋として使われていたものだろう。
　ちょうど道程の真ん中へんだ。うまく逃げ込めれば雨は凌げる。
　屋根は穴だらけだったが、分厚い土木シートのようなものもあった。濡れる心配はない。

和海 （それに――……）

　髪がびりびりと放電したように逆立った。
　自分の集中力がひときわ増している。かつての感覚が完全に戻っているのだ。

和海 （―――あれは、試してみる価値がある）

　ひとつの考えが浮かんだ。
　それは、無謀とも思える思考だった。だが、回路はかちりと符合していた。
　自分なら出来る。
　極限まで高まった集中力が、そう結論していた。

背景：山林

　一往復目を、最大速力で走破したおかげで、心に少なからず余裕が生まれていた。
　山を掻き分け、橋を渡し、最短ルートを作り上げておいたことも、安堵感を増長させた。

大噴火 （いかん、まだ勝負は付いていない）

　自分を奮起させる。
　嘗めてはいけない。そうすることで堕ちていった者は数知れないほど見ていた。

大噴火 （二往復目は、スピードはダウンさせて三往復目に備える。だが、緊張感まで失ってはいかん）

　それは当初より考えていた作戦だった。
　一往復目は、最大速力を保って相手を圧倒する。
　二往復目は、体力を温存する。
　三往復目に再び最大速力を発揮して、ラストスパートをかける。
　クイズを覚える数は、３、４、３。
　２問まで、こちらが覚え間違えるか、解答者が誤答しても大丈夫な計算だ。
　一往復目で３ポイントＧＥＴ出来たのは僥倖だ。
　本来、体力をぎりぎりまで使っている場合こそ間違いやすかった。２ポイントでも仕方ないとは思っていたのだ。
　これで、二往復目に３ポイント以上ＧＥＴ出来れば、三往復で完了出来る可能性はずっと高まる。

大噴火 （おそらく、牧村和海は二往復で完了させるだろう……）

　知力に差があるのは間違いない。
　要は、体力でそれがどれだけカバー出来るかが問題なのだ。
　現在、山道の走破スピードは二倍近いはずだ。奴が二往復、自分が三往復なら――勝てる。

大噴火 （だが、油断はならない）

　油断はしない。
　慢心もしない。
　あくまで慎重に、細心の注意を払って。巨大な重機を操るのも、最後は繊細な人の指なのだ。

背景：砂浜

ちまき 「――！」

　戻ってきた。
　藤山大噴火に遅れること１５分以上。復路は往路より速かったようだが、この時点ですでに大噴火は二往復目の展望台を去っている。

ちまき 「遅いわね」
和海 「すまんな。普通にやったんじゃ、勝てそうもなかったんでな」

　軽口を叩いている。この分なら大丈夫だ。

木ノ下 「牧村くん、クイズだ」
和海 「ああ、問題『「三人寄れば文殊の知恵」の文殊菩薩を本尊とする日本三文殊は、丹後の切戸と大和の安倍ともうひとつは？』」
木ノ下 「合っているな」
灯 「ああ、問題ない」
ちまき 「答えは、『出羽の亀岡』ね」
木ノ下 「正解だ」

　すらすらと答える。
　それにしてもこんな問題を選ぶなんて。
　一般的に考えて、複数のうちのひとつを答える類の問題は覚えにくい。どれを答えるのが、出題だったか忘れがちだからだ。

ちまき 「……余裕ね」
和海 「いや、違うんだ」
「次を聞けば分かる。問題『「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」で有名な山寺。正式名称は？』」
ちまき 「あー……」

　なるほど、そういうことか。
　審査員によるチェックが終了する。もちろん、問題なし。

ちまき 「『宝珠山立石寺』ね」
「山形関連で繋げてあるのね」

　亀岡神社も立石寺も山形県内だ。
　こういうふうに問題同士を関連付けて覚えれば、間違える確率はぐっと減る。
　彼はさらに３問の問題をバラで覚えてきた。合計５問。

ちまき 「４問でいいって言ったでしょ」
和海 「無理したわけじゃない。最初のふたつは関連付けたからいちカウントだ」

　そんなわけあるか。
　本当にこの男は途方もない。高い壁がさらに高くなった気がして胸がいっぱいになる。

和海 「じゃあ、次行って来る」
ちまき 「気をつけて」

　遅れていることを気にも留めていない。
　完全にマイペース。理想的な進行の仕方だ。

前田 「さすがだね……『静寂の海』。この条件で５問とは」

　後姿を見送りながら、『帝都の鬼火』が呟いた。
　悔しそうな顔などしていない。実に楽しそうだ。
　この男、忍者炎といい、巨漢の藤山といい、クイズ界の風雲児とも言うべき者たちを集めて、いったいなにがやりたいのか。
「第２クイズ研究会を潰す」
　昨日の時点では、それが目的のように思えた。
　だが、本当にそうだろうか。少なくとも目の前の男は、クイズそのものを楽しんでいる。

ちまき （計り知れない……油断もできない……）

　汗がつうと流れた。

背景：エフェクト効果で時間経過を

　藤山大噴火が二往復目を終えて帰ってきたのはそれからすぐだった。
　４問覚えてきたが、迫水先輩のケース同様に４問目はうろ覚えだったらしく、１問を間違えた。
　これで、６ポイント。
　彼もあと一往復で終るだろう。

迫水 「走破スピードを考えれば、和海くんが抜かれるのは間違いないけど……」
榊 「なにかやらかすんだろうなぁ……和海」
茜 「楽しみですねー♪」
ちまき 「でも……気になることもあるわ」
あつみ 「……うん」
香子 「なにか、あるんですか？」
ちまき 「空」

　すっと空を指差した。
　すでにどんよりとした雲が空を覆っていた。

背景：林道

和海 「――きた……」

　額に水滴が当たった。
　ひとつ、ふたつ。
　出来る限り濡れないように林間を縫うように走る。身体を濡らしたら体力は著しく減衰する。
　幸い、本格的に降り出す前に、件の廃屋にたどり着くことが出来た。
　土木シートを広げて頭から被る。

和海 （……雨音が激しい）

　かなり激しい降りになった。
　この分では、大噴火もどこかで雨宿りしているだろう。身体にかかる負荷を考えないような馬鹿には見えない。

和海 （さて……吉と出るか、凶と出るか……）

背景：雨の森林

大噴火 「くそッ！」

　大きな木の陰で雨宿りしながら藤山大噴火は毒づいた。
　雨の気配は感じていたが、こんな本降りになるとは思わなかった。
　天気予報でも降水確率は少なかったので油断していたのだ。野外でのクイズ経験の少なさが災いした。

大噴火 （かなり濡れた……）

　じっとりと水を含んだ上着をぎゅうと絞る。
　温まっていた体が急激に冷えていく。
　このまま、雨が止まなかったら……

大噴火 （いや、夏の激しい雨はすぐに止む場合が多い。実際、暗い雲も流れ始めている）

　牧村は自分と違うコースを走っているらしく、まだ姿が見えないが、距離的にはそろそろ追い越しているはずだ。
　雨が止んだあと、先に展望台にたどり着ければ、復路で抜かし返される可能性は低い。
　スピードなら自分のほうが速いのだから。
　問題は奴がこの雨のなか、走り続けている可能性だが……

大噴火 （それはない。そんなことをすれば、すぐに体調を崩して倒れる）
（雨が止んでからが勝負だ）

　じっと待った。
　起爆前の爆弾のように。

背景：廃屋

　青空が見え始めた。

和海 「よし！」

　思ったとおり、一時的な雨だった。
　少々荷物になるが、土木シートを適当な大きさに裂いて腰に縛り付ける。

和海 （日は差して来ているが……）

　足元はかなりぬかるんでいた。
　もともと、粘土化した火山岩のうえに表土が堆積している地質構造なので、水捌けが悪いのだ。
　ところどころに粘土質の露頭も見られる。

和海 （だが、なんとかなる）

　一往復目の往路のときに、あちこちの地質状態をチェックしておいた。
　いま、自分が辿っているあたりは砂礫状の風化岩が堆積していて、比較的水捌けがいい。
　しかも、最近は少なくなっているとはいえ、流刑地などとして使われていた時分には、頻繁に使用されていた道なのだろう。
　しっかりと踏み固められており、危なげない。
　おそらく、この差が大きく効いてくる。

背景：山林

大噴火 （まずい）

　足が滑る。
　もともと道なき道を切り開いて走破してきたためだ。
　山林のなかの薄い表土が水を吸ってぐちゃぐちゃになっている。

大噴火 （だが、こんなもの――）

　斜面にがっしと靴を潜り込ませる。
　この程度の悪路でペースが落ちるほど、やわな足ではない。
　強靭な筋肉とそれを支える骨格、さらに悪路に逆らうだけの重量があれば、不用意に足を取られることもない。

大噴火 「牧村和海よ――この雨で俺のペースが落ちることを期待しているだろうが……」
「甘いぞ。こんなものでは、負けん！」

背景：山林

和海 （……）

　高笑いが聞こえたような気がした。
　おそらく大噴火だ。
　冷や汗がこめかみから首筋へと流れ落ちる。
　あの巨漢の影も形も見えないが、この山中で起こっていることが全て見えるような気がした。
　おかしさが込み上げた。
　そんなことなどあるはずがない。
　だが、これはＮＧＯ時代にもしばしば感じた感覚だ。そして、その超感覚はかなりの確率で当たっていた。

和海 （もうすぐ、展望台だ）

　にわかに足が速まった。

背景：砂浜

香子 「雨、酷かったですね……」
迫水 「ふたりとも大丈夫かしら」

　クイズ場所はイベント用の三角テントが組んであるので、皆一時そこに避難した。

あつみ 「一応、止んだみたいだけど……またいつ降るか」

　ところどころ青空が見えてはいるが、雲も多い。
　本土のほうを見れば、黒々とした雷雲がまだ鎮座している。

茜 「あ、来ましたー」

　モニターに人が集まる。

ちまき 「どっち？」
炎 「藤山か！」

　雨の余韻の残る展望台。その固定された監視カメラの視界のなかに、泥にまみれた巨獣が姿を現した。

効果：ホワイトアウト

背景：展望台

大噴火 「ふ、ふふ……」

　ぬかるんだ地面に足跡がない。奴はまだ来ていない。
　間に合った……！

大噴火 「――ふははははッ！　勝ったッ！！」

　もう、あとは出題エリアまで戻るだけだ。
　それも、復路は往路よりも下りが多くなる分、スピードは増す……！
　勝った。
　もう、負ける要素などない。
　帰りは通常の林道を通ってもいいだろう。安全策をとる余裕すらある。

和海 「――気の早い奴だな」
大噴火 「――牧村！」

　ゆらりと、対戦相手は現れた。
　息も乱れていない。定期的に、静かなしかし深い呼吸を繰り返している。

和海 「その足元……だいぶ苦労したようだ」
大噴火 「……ふん」

　自分の足元は、靴からズボンにかけて泥で覆われていた。
　何度か足を滑らせ、膝を付いたりしていたため、足首から脛まで泥だらけだ。
　しかも、上着も白いところなど見当たらないくらい汚れている。

大噴火 「貴様は……」

　しかし、牧村和海はほとんど汚れていなかった。
　あちこちに泥撥ねはあるが、総じて綺麗なままだ。山中で雨に降られ、ぬかるんだ道を走破してきたようにはとても見えない。
　ゆっくりとした動作で問題文に近づいていく。

大噴火 「どんな手品を使った……」
和海 「地を知り、空を知る。野戦での常識だ」

　そうか。
　この男は、国際ＮＧＯで過酷な戦闘を何度も経験してきたはずだ。
　密林でのゲリラ戦。補給のないサバイバル。およそ、日本のクイズ士では想像もつかないような世界を渡り歩いて来たのだ。

大噴火 「だが、この勝負は俺の勝ちだ。いま、ここにおいて顔を合わせているという事実は動かしようがない」
和海 「――それは早計だ」
大噴火 「ふん、あとは山道を戻るだけなのだぞ。走るだけなら俺のほうが速い」
和海 「それは認める。お前は凄い」
「豪胆でありながら繊細。ブルドーザーのような巨獣を思わせて、その実、実に細かい配慮が為されている……」
「マラソンのペース配分、記憶問題の選択、橋をかける位置、数え上げればきりがないが、ただの筋肉馬鹿にできることではない」
大噴火 「………」
和海 「正直、この雨で逆転できると思っていたんだが、それは甘かった」

　片手に問題文を持ち、意識をそちらに集中しながら、なおも男は喋り続けた。

和海 「俺はお前に敬意を表する」
大噴火 「……ふん」
和海 「お前は俺が知る限りにおいて、最もハイグレードなクイズ戦士のひとりだ」
大噴火 「だからなんだ。前置きはいい加減にしろ」
和海 「それゆえに――」

　腰に巻いている紐を解いた。
　ビニールシート……？

和海 「俺も極限的な選択をしなければならない」

　シートを広げた。
　丈夫な、厚みのあるシートだ。その片方に紐を結わえ付け、手提げのように胸の前に掲げる。

和海 「山の斜面にはあちこち林が切れ、草原化している部分がある」
大噴火 「――ま、まさかッ！！」
和海 「そして、草地は現在水を吸って、非常に滑りやすくなっている」
大噴火 「貴様、まさか！！」
和海 「――草橇だ。子供の頃、やらなかったか？」

　ざあッッ！！！！
　男の姿が――目の前から、消えた。

背景：放射フラッシュ